2015年12月21日月曜日

柚子と時鳥とジャッジメント

by 井上雪子


国際宇宙ステーション(ISS)から油井さんが帰還され、『スター・ウォーズ/フォースの覚醒』が公開され、冬の星座は鮮やかににぎやか。「柚子を取りにおいで」というお電話をいただいて持ち帰ったその小さな果実、搾れば冬至という語が匂うようです。

柚子の実る庭のお向かいは神社、久しぶりにおみくじを引けばまず目にしたのが「ほととぎす」という文字。おやおや、神様、お見通しなのですね。「ほととぎす 高鳴くこゑも聞く人の 心ごころに変わるものなり」。なるほど、目に見えないものを敬う極意みたいな心持ちです。

ちょうど、「ジャッジメントを手放すということ」というサブタイトルにひかれて、水島広子さんのトラウマからの回復論を読んでいるのですが、普通の人にも理解可能な日常用語で書いてくださってはいても、「ジャッジメントを手放すということ」の本質はとても深く、「君、かわいいね~」と平気で言ってしまう私には、何がよくわからないのかを考えなくては、というようなぼんやり感が残ってしまいます。

それでも、「ジャッジメントを手放すということ」は何か大切なことだという直観があります。そして、「ほととぎす 高鳴くこゑも聞く人の 心ごころに変わるものなり」、ここにはジャッジメント(=ある人の主観に基づいて下される評価)を手放すということに似た安らかな何かがあります。豊かな批評や表現の自由を、「戦いを始めないための問いの立て方」から始める、そんなところまでじっくり、この不可視の時鳥の声を聞こうと思います。




 水島広子 『トラウマの現実に向き合う(ジャッジメントを手放すということ)』(創元社、2015年)

2015年12月16日水曜日

前向きな年末

by 梅津志保


「大丈夫か、地球温暖化」今年は、12月に入っても暖かい日が多い。寒くないのはうれしいが、温暖化が気になる。

そんな中、宇宙飛行士の油井さんが、宇宙から帰ってきた。

インタビューを見ていると「日ごろ準備をしていたから重要なミッションをクリアできた」「自分の名前に亀が付くから、月のうさぎに勝つためには月の先にある火星を目指す。自分は、これから、その役割を担うようになっていきたい」「アメリカやロシアの人と過ごす生活の中で、国の難しい問題があっても、チームの中で自分がそこでなす役割がある」など、終わりではなく始まりであること、明確なビジョン、そして前向きな気持ちが生む力を教えてくれる。

心配しているだけでは、何も変わらない。どうすればクリアできるか、経験と周囲の人へ感謝すること。

今年も残すところ半月。終わりではなく次への始まりを思う、そんな前向きな年末を思う。

2015年12月7日月曜日

空飛ぶ性善説

by 井上雪子


20年ほど前になるが、真冬のフィンランドにオーロラが観たくて行ったことがある。曇りばかりの、SUOMIというその国の冬の夜は、宇宙的なその光をやすやすとは見せてはくれなかったけれど、長く心に残るあたたかさをたくさん持たせてくれた。たとえばそのひとつが、国内線旅客機のスイングドア。

操縦席と客席の間は1メートルほどの木の板のような、簡易なスイングドアで仕切られているだけ。子どもがそこに立てば、パイロットと同じ目線で進行方向の空を眺めることができる。マレーシアとケニアしか行ったことがなかった私とて、これにはちょっと驚く。性善説そのもの、あまりの無防備さ。しかし、子どももお年寄りも、本当に大切にされているのが、小さな事柄から見て取れた。

海外旅行がどこであれ、心配を伴うことになってしまった今、フィンランド国内線のあのスイングドアが妙になつかしく、あれはあのままでも大丈夫な世界であってほしいと思う。これが先進国だと思わされたヘルシンキの洗練された文化の根、民族的には黒髪の、アジアに親しい血族。北極圏のその町で乗せてもらったカローラ、俳句を知っていたタウン誌の編集者のおじさんは今も元気だろうか。そしてサンタクロースは、今年も 赤いお鼻のルドルフを呼びながら旅の仕度を始めただろうか。

2015年12月1日火曜日

バトンタッチ

by 梅津志保


「平和な時にしか妖怪は語られない。」水木しげるさんが語った言葉として、NHKのニュースで紹介されていた。

また、先日、ETV特集 戦後70年企画「ドナルド・キーンの日本 前編 日本文学を世界へ」を見た。ドナルド・キーン氏は、余情という日本人独特の価値観について考え続けたという。

身近に戦争がある状況では、妖怪も余情も存在しない。戦争をくぐり抜けて生きて来た二人の言葉は重い。

俳句を作り、読み、語る。文学が近くにあることを当たり前と思うことなかれ。戦争を知らない私が、戦争について考えるのはこんなアプローチからかもしれない。
小さな詩形、俳句を、そして、平和をこれからもバトンタッチできるようしっかり考えていかなければいけない。

2015年11月23日月曜日

子規の旗から

by 井上雪子

早くもクリスマス・イルミネーションが美しい夜が始まったが、先週から今週、群馬県立土屋文明記念文学館で「村上鬼城 生誕150年記念 『ホトトギス』と村上鬼城の世界」を、神奈川近代文学館で「柳田國男展」をみてきた。どちらも見ごたえ十分な面白い企画と資料と展示に見入ってしまい、ちょっと疲れた。
明治時代だからか、文学者あるいは研究者だからか、実に筆まめなことにいつもながら驚いてしまう。毛筆の巻紙の信書もペン書きの葉書も、さらさらと屈託のない筆の運びで連絡手段というよりも、送り先のひとへの温かさとか、何かを表現すること・伝えること自体の喜びのほうが勝っている感がある。


土屋文明記念文学館の脇には、縄文時代の大きな古墳があり、登って廻って降りるとガラス越しに石棺を眺めることができた。「柳田國男展」では、柳田家に掛けられていたという「世の中の憂きこと聞かぬ住まひかなただ山水の音ばかりして」という本居宣長の歌からぐうんと時間が広がっていき、日本・日本人以前という世界へ意識が飛んでしまった。

歴史なんか知らなくたって、日々、困ることはない。けれども、見慣れぬ土地の何か地霊的な空気が日頃の空気より濃いことを感じていると、いつの間にか、始まりのほうへと心が連れて行かれてしまう。
子規の月並み俳句論は 、今どきのアイドルが歌う「100%勇気・・・!」以上の異色の旗だったのだろうが、そのきれいな旗からの風は今も届く。そして、明日の俳句の風も、都市という野を行ったり来たりしているらしいが、私の眼もまた知らないものを見つけられないのだ。いっそ、目を閉じて冬の匂いのなかにいようか。




■「村上鬼城 生誕150年記念 『ホトトギス』と村上鬼城の世界」
群馬県立土屋文明記念文学館
2015年10月3日(土)~12月13日(日)

■「生誕140年 柳田國男展」
神奈川近代文学館第2・3展示室
2015年10月3日(土)~11月23日(月)


2015年11月9日月曜日

上を向いて

by 梅津志保


「豆句集みつまめ」その七粒目(2015年立冬号)が完成した。

全国に飛び立っていった(郵送させていただいた)みつまめ。もう冬支度は始まっているのだろうか北海道、まだ暖かいのだろうか沖縄へ。皆さまのポストにポトリと落ちるみつまめ。同じ時間に受け取っていただいても、外気の違いはそれぞれなのだろうと想像する。

今回、夏に合宿を行った。富士山までの小さな日帰り旅行。車が山道でカーブしながら、梨木香歩さんの小説の話で盛り上がり、俳句の何を大切にしているか話し合い、この7号にたどり着いた。

たくさんの人、たくさんの俳句に支えられ、自分の作品が生まれること。
ハナミズキの赤い実に、雨粒がキラリと光る暖かい夜。傘は閉じて、上を向いて歩いた。

2015年11月3日火曜日

JAZZの闇

by 井上雪子


横浜・関内、『馬車道まつりアートフェスタ2015』の中の一つのJAZZコンサートに行ってきました。ホールの入口で頂いたプログラムに並ぶ『YOKOHAMA Boogie』、『China Town My China Town』、『Gaslight In The Twilight』・・・、関内の予備校で過ごした遠い日々が匂いだすようなタイトル、泰地虔郎さんとYOKOHAMA Port Beatsから流れだす音たちは弾むようにキラキラし、包むように柔らかでした。

プログラムにはなかったのですが、アンコールに応えて演奏された『大地のうた』、苦しいほどの迫力に圧倒されました。 ドラムスと尺八、鈴の響きだけで深く濃い闇が呼び出されていくような、音の生命力という感じでしょうか。日本のどこか、そして私のどこかに今もこれほど深い闇が眠っている、そんなことを確かに感じる空間のなかに座っていました。


そしてまた、日本の横浜でJAZZというスタイルを選ぶことへの思いの深さ、JAZZに溶かし込まれたものを受けとめ、大切にしてきた泰地さんの時間を思いました。音階の枠を越える豊かな一音の力、いまここを生きるJAZZの魅力、ひさしぶりに大人の時間を過ごした気がしました。

『馬車道まつりアートフェスタ2015』

泰地虔郎とYOKOHAMA Port Beats

(横浜・関内大ホール 2015年11月2日)


2015年10月23日金曜日

迷惑をかけても、かけられても

by 井上雪子


3~4日前のことすら記憶が曖昧な状況で、どちらが先だったのか定かではないのだけれど、佐野洋子さんの『100万回生きたねこ』と、『ヨーコさんの“言葉”』を続けて読みました。

意図された偶然のように、『100万回生きたねこ』は本屋さんの絵本コーナーでの立ち読み、『ヨーコさんの“言葉”』は貸してくれた方がいて。どちらも時間にしたら5分ほどで一読できてしまうけれど、何回も、何十回も、時間をかけて読み直す、そんな本。言葉がやっぱり詩、「生きる・死ぬの意味」を読み手に考えさせる力を携えている、哲学と言ってもおかしくないほどの力。

『ヨーコさんの“言葉”』の、さりげなくドキリとさせる反・道徳的な言葉。「私『正義』というものが大嫌いです。」、「私いつも、『ハハハ、勝手じゃん』」と言いたいのです。」ママ友や、職場や、学校で、それはとても難しいことになっているけれど。そして、『泣き泣き人の迷惑をひきうけ、泣き泣き人に迷惑をかける・・・』、そのしがらみもまた、人には大切だろうと言う。その度胸の据わったスタイルが、小さな「なあなあ」的安心をひょいとひっくり返す。

そして、100万回死んでみなければ見つけられなかったもの、100万回生きたから見つけられたもの、その幸福な、とても素敵なことをこの世で楽しめばいいんだってことにジーンとする。普通の人が当たり前にできる、それでもなかなか見つからずに遠回りもするもの。いろいろあるよ、100万回の内にはね、佐野さんにそう言われていると思うと、心がちょっとふにゃっとなる。


『100万回生きたねこ』 (佐野洋子 講談社 1977年)


『ヨーコさんの“言葉”』(文:佐野洋子 絵:北村裕花 講談社 2015 年)


2015年10月12日月曜日

蟷螂の眼

by 梅津志保


玄関のドアを閉め、出かけようとした。そのとき、視線だったのか、気配だったのか、何かに気が付いた。花壇のローズマリーの上をじっと見ると、そこには、大きな蟷螂がいた。立派な緑色の体、三角の顔、大きな鎌。夏に見たときは、指先位の大きさだったのに。「大きくなったぞ。」といわんばかりの姿だった。同じ蟷螂であるかどうかは分からないが、とにかく蟷螂が、成長した姿を見せにきたのだと思った。

なかなかこんな機会もないので、じっと正面から見ると、蟷螂の眼は緑色で、吸い込まれそうな美しさだと思った。また、自分を見透かされているような気がした。蟷螂から見ると自分はどう映るのか。

虫の眼の億とあつまり冬青空 高野ムツオ

この句を最近、読んだからかもしれない。そんなことを思った。自分からの視点だけではなく、動物から見た景色はどうなのか、植物の生え方はどうなのか、そんなふうに、対象からこちらを見てみることの大切さ、客観性。また、俳句を読んだ人が、迷わないような読後感がいい、想像がふくらむような俳句とはどういうものなのか、改めて考えてしまった。

自分よがりではいけないことを、この俳句は教えてくれる。同じ時に、蟷螂と同じ場所に立つ、自然の中にいる自分。一時間後に帰宅したとき、同じ場所に、蟷螂はいなかった。その一瞬。姿を見せてくれたあの蟷螂のために、いつか俳句を作りたい。

角川学芸出版編『今はじめる人のための俳句歳時記 新版』(角川学芸出版、2011年)

2015年10月6日火曜日

身体でいたい

by 井上雪子


20代から40代半ばくらいまで、いつでも身体のどこかがひどく痛かった。嘔吐や下痢を伴って耐える頭痛、背中や腰の痛み、腱鞘炎、ひざ痛、心臓まで痛かったりした。30代で五十肩の激痛を知り、花粉症も辛かった。

病院にもよく行ったし、都市伝説も試した。結局、スイミングが良かったのか、痛みの神経が老化したのか、頭痛は間遠になり、気がつけば肩甲骨の間の我慢できる程度の痛みと、外反母趾の痛みが残っているくらいになった。

が、先週、何十年かぶりに思いっきり転んだ。かっこ悪さのなかから立ち上がり、ゆっくりと痛みを確かめ、身体をたしかめた。そして、その夜、思った、「喉元過ぎれば・・・」という日本の諺は、私には正しかったということを。家族が腰痛や足腰のしびれを訴えていても、自分では出来る限りのサポートをしているつもりだった。が、久しぶりの痛みは、自分が他者の痛みにずいぶんと鈍感になっていることを告げた。

時には痛みは痛烈であってよいと思う。明日はゆっくり歩こうと思う。だが人生は短いらしい、時にはちゃんと立ち止まって空の色と同じ色の身体になろう。

2015年9月28日月曜日

対比の世界

by 梅津志保


「生死」をテーマに俳句を分類して鑑賞するという試みをしている。対比を意識してみようと思ったからだ。その時、この句を思い出した。

佛間まで磯蟹あがる暑さかな 小澤實

フェリスの講座で先生が紹介してくれて、その時からとても好きになった句だ。

浜辺の近くのどっしりとした日本家屋。その家の佛間に磯蟹があがってくるという驚き。でも、磯蟹はそれくらいのパワーがあると思わせる。民宿の駐車場に蟹がいて「こんなところに!」と思ったことを思い出す。蟹からすると棲み処である浜辺を縦横無尽に歩いているのだから、そんなに不思議なことではないのだけれど。「暑さかな」の季語が、蟹にますますパワーを与える。

「生死」でいうなら、最初は当然、「佛間」が「死」を連想させた。ところが、何度も読んでいるうちに、この句には、それだけではない、たくさんの対比が表現されているのではないかと思い、とても驚いた。まず、静かな佛間と動く蟹で「動と静」。そして、佛間の黒と磯蟹の赤で「黒と赤」。もしかすると祖先と今の「過去と現在」の意味もあるかもしれない。発見する喜び。

図書館で借りてきた句集が手元に数冊。どんな俳句に出会えるか、どんな発見があるか。スーパームーンの下で読み始める。

2015年9月21日月曜日

子規忌の夜に

by 井上雪子


9月19日、子規の居室の6畳間を訪れた。立膝のためのくりぬきのある座卓で感想ノートにペンを走らせていると、目の奥が熱くなる。糸瓜は大きくぶら下がり、所狭しと草や花やひと。この賑やかな庭を子規の自塑像が見つめる。

自作のその塑像は両手で包みこめるほどの小ささ、正確な立体感、眼などは竹べらか何かであっさりと線描きしたきり。大仰なことが嫌いな子規らしい静かな作品だ。紙粘土のような古びた白とも青とも茶色ともつかない。どこを視るともなく、何を語ろうというでなく、冬の顔だ。33歳前後の子規、繊細な、弱さにも似たこの何かにもまた、私は心を打たれる。

そして、展示品の中にあったお母上、八重さんの「子どもの頃はそれは円い顔で鼻が低くておかしな顔で、大人になってこんなに顔が変わるとは・・・」といった意味の母親目線の言葉が私にはなんだかうれしい。本当に多くの人々が愛し、多くの人々(百年以上後の私たちまでを含めて)を愛して逝った子規の人となりの礎がそこにあるように思える。世界の日本へと、この小さな家からとてつもなく広がっていったエネルギー、次の100年もまた、誰かの心に届くと思う。

子規とご家族のお墓を訪ったあと、ひとり、国会議事堂前で地下鉄を降りた。東京に住む女子高校生と私は普通に挨拶をし、北海道や京都から来た高校の先生や法学者の、ここからが新しい民主主義のスタートだという議事堂に向かって静かに続くスピーチを聞く。見守る警察官に地下鉄の駅を問えば、親切に案内してくれる。

だが、たったふたりに始まって国と国という大きな問題にまで、提案や意見の相違が問題の解決や決着を遅らせる。拉致、領海侵犯、核兵器・原子力発電、辺野古、貧困や難民、命のかかった急務が多々ある。それでも、ひとりひとりの考え、その多様さは当たり前の自由なんじゃないかな。異なる意見がタブーだなんて、恐ろしすぎる。だからこそ、理解し合うには、一緒に力を合わせるには、どこに向かって歩けばいいのだろうか。私は今、どこを歩いているのだろうか。

俳句はもちろん、スピーチではない(スピーチであることも自由かもしれないが)。生き生きと自由な心が悲しんだり歌ったり笑ったり、誰かの楽しみや小さな力になるものだと思う。だけど、みんなの幸福を夜空に描くには、私はまだまだ柔軟体操が足りない。制球力もない。背中の、子規の好きだったというお団子2本、無言。


◆子規庵(東京都台東区根岸)   「第15回特別展 子規の顔 その2」
   平成27年9月1日(火)~9月30日(水)
   (休庵日 7日(月)、14日(月)、24日(木)、28日)(月))
     開庵時間  10時30分~16時
     入庵料    500円


2015年9月14日月曜日

サカナクションと秋

by 梅津志保


「きっと言葉を大切にしている人だ。」テレビのテロップにサカナクションの歌詞が流れた途端そう思った。

NHKのサッカーの公式ソングだったらしい。歌詞の中には、苦しさや頑張ろうといった応援らしさは感じられず、ただ選手の精神性だけが描かれているように感じられた。それだけで十分なのかもしれない。それ以上のことは言えないのかもしれない。ひとつひとつの言葉の重み。歌詞がこんなにまで心に届いたのは久しぶりだった。

作詞をしたサカナクション山口一郎氏は、俳句を作るそうだ。余計な言葉が削られていることにも納得できる。

嫌いな言葉は「愛」だとインタビューで答えている。それは、やはり言葉を大切にしているからだと思う。歌詞になると「愛」という言葉は上滑りになる。愛ってもっと重くて深くて、大切な時に使う言葉だったはず。音楽の秋。歌詞という小さな詩にも注目してみたい。

2015年9月8日火曜日

ダウジング、コツコツ

by 井上雪子


再公募となってしまった2020年東京オリンピックのエンブレム、世界の目を意識したデザインが画像検索によって洗練されつつオリジナリティを持ちえなかった過程は、現在の表現の独自性(オリジナリティ)を妙な形で抉り出していたように思う。模範解答を探さざるを得なかったその志向性はひとごとではない。ひとの衣食住も、ひとそのものも個性とか独自性をさほど求められない日々に均質化しているのだろう。

日常的な印刷物やWebサイトでは類似や模倣もそこそこ許され、かつてないオリジナリティの這い出る隙はないとあきらめたくもなる。「真似はダメだけれどのびのび大胆に・・・」なんて鼓舞では足りない。もちろん無から有を生み出す宇宙的な天才もこの世にはいるが、多くの表現者たちは「どこかでみたような」、「いつか聞いたような」記憶の澱、意識や無意識の層をコツコツと掘り、まだ見たことも聞いたこともない鉱脈や水脈を探していく。だが、出る杭は打つ、空気を読む、LINEの鎖が伸びて来る。新しさの泉が干上がりかける。

表現のエンジンが一人きりの全力なら、その燃料は何だろう。真に個性的で独創的な表現は、お手本通りでなくても、みんなと異なっていても、それぞれを幸福な力として生きることを受けとめることから育まれるように思う。呑気なことは言っていられない世の中だ。だから、表現くらい思い切って出してみなよと自分に言う。俳句は古く、深く、新しい。安心して堀り続けて行こう。月の下でお団子を食べながら、のんびり、億単位の税金の使い道について喋ろう。

2015年8月30日日曜日

宿題の答え

by 梅津志保


急に涼しくなった。私は、この夏旅した、琵琶湖を想う。滞在した湖西は、京都や福井に近い。山に囲まれた地域には、秋が早くやってくるだろう。

近江八幡の、お侍が出てきそうな町並みや、鬱蒼たる緑の中の比叡山延暦寺も行ってよかったが、 今回、強烈に心に残ったのは、琵琶湖のそばの「かばた」の暮らしだ。

かばた(川端)は、湧水が流れる水路を、町の人が共同で生活水として利用する暮らしだ。お皿を洗ったり、野菜を冷やしたり。 誰か一人が川を汚すと、隣の家々の迷惑になる。きれいな水路には、鯉が泳ぎ、ご飯粒を食し、きれいな水は琵琶湖へと注ぎ、鮎や小魚が遡上する。

地域の人に案内してもらったが、「守る」という言葉をこんなに強く意識したことはなかった。人々が守ってきたからこそ、私は、この奇跡的に残された、美しい光景を見ることができる。それは一人でできることではない。町全体で取り組むことなのだ。割と「守られて」来た今までの自分を知る。それは、とても幸福なことだが、果たして私が「守る」ものは何だろう、俳句で今、次に伝えたいものは。夏休みの宿題の答えは、これからじっくり出すことになる。

2015年8月24日月曜日

短い夏に

by 井上雪子


あっけなく、はっきりと夏が終わる。夜、コオロギが鳴きはじめたかと思いきや、早や赤とんぼを見かけ、青い小さな団栗三つ、拾う。何か納得できないような、陰暦が季節に追いついたかのような、短い夏だったと思う。

そんな秋めいた昨日から蕪村の俳句をゆっくりと読み始めた。「染あえぬ尾のゆかしさよ赤蜻蛉(あかとんぼ)」、「鳥さしの西へ過(すぎ)けり秋のくれ」、解説を読まなければ句意がわからない。が、何か美しいことは伝わってくる。未だすっかり赤くなっていない蜻蛉、秋の初めのその完璧ではないゆえの美しさ。小鳥を捕える者が沈みゆく秋の夕陽の方へ、仏さまの住むという西の方へ。

景の中で二転三転、実景に心象が混濁し、深くなってゆく意味の面白みを味わう。先日、サントリー美術館で「若冲と蕪村」展を観た際、蕪村の絵の面白みが理解できず、しっかり観ないままにしてしまったことを、今とても残念に思う。見つめること、見つけること、描くこと。俳句と通底する何かが見え隠れする。私は風景画も石膏デッサンも苦手で嫌いだったけれど。そして、絵筆を握らなくなってから本当に長い時間が過ぎたけれど、絵を描きたいと思う、秋。



『蕪村句集』(玉城司=訳注) 角川ソフィア文庫 2011年


「生誕三百年 同い年の天才絵師 若冲と蕪村」展
サントリー美術館
平成27年3月18日(水)~5月10日(日)


2015年8月17日月曜日

これからレモン

by 梅津志保


我が家のレモンの実を数個摘んだ。隣家に勢いよく伸びていたレモンの実は、まだ青く固い。

私は、『智恵子抄』(高村光太郎)の朗読を、ちょうど句会で聞いたばかりだったことを思い出した。久しぶりの『レモン哀歌』。悲しい詩なのかもしれないが、私にとっては、心がしんときれいになる詩だ。

学生の時、教科書で『智恵子抄』を知った。詩ってなんだろう、意識しだしたのは『智恵子抄』からだったと思う。「これが詩なんだ。」とストンと自分に落ちた。私は「がりりと噛んだ」と「トパアズいろの香気が立つ」の箇所が好きだと思った。音、香り、色。レモンに対する誰もが共感する表現力。そして、レモンに重ねる「思い」。

レモンは秋の季語。あの明るい色や、CMなどの影響か、アメリカやイタリアの南の地方が産地であり、夏の物だと思い込んでいた。これからどんどん色づいてゆく。レモンの木は、雪が降った日、黄色い実に、白い雪が積もり、いつも濃い緑色の葉と共に、明るくすっきりと立ち、きらりとした光景を見せてくれる。

私は、青いレモンの実を「がりり」と噛んでみた。まだ熟していないレモンは、歯がたたなかったが、果汁を絞ると「トパアズいろの香気」が私を包み込んだ。

2015年8月10日月曜日

言葉の痛み

by 井上雪子


「自分の体験を一方的に語っている自らを省み、ひとりひとり異なっている様々な聞き手がいるということを考えた・・・」と話されるご老人がいらして、はっとした。2日ほど前、被爆体験を語り継ぐことの難しさを伝えるテレビ番組だ。この春、若い聴衆からこの方に乱暴なひとことが投げられたのだが、その方はそこから投げた側の痛みをきちんと受け止め、投げられた痛みに屈することなく、自らを見つめられたのだ。再び大切なことを次の世代に伝えるその言葉、その思考のやわらかさを私はなにか救われるような思いで聞いていた。

2015年夏、殺す側と殺される側の「何故?」は互いに理解しあえない外国語のように、隔絶している。勝つために殺す、誰でもいいから殺す、まもるために戦いに征く、意味が分からない。議論に負けても数で勝ち、非戦の志は70年で手放されるのだろうか。殺しあわない力は言葉の力、自由のちからは表現の力。痛みからさえ学ぶことを継ぐことを思う。

17音、何も言わなくとも以心伝心、超日本的自由を渡ってきた涼しい風、立秋。

2015年8月1日土曜日

メリーゴーランドかき氷

by 梅津志保


実家に帰った時、家族でかき氷を作った。

妹と姪、私がテーブルを囲み、かき氷を作る母の手元を見つめる。順番にかき氷が渡され、食べ終われば、代わる代わる、ガラスの器を母に渡し、お代りをお願いする。ガラスの器は、メリーゴーランドのようにクルクルと食卓を回る。美しい時間だと思った。

日常の中にある美。かき氷の色、夏の日差し、皆の笑顔。そんな幸福な時間を忘れずにいたいと思う。 帰りの電車からは、隅田川の大きな花火を見ることができた。

夏は、まだこれから。2015夏、暑さの中で、俳句と歩く。

2015年7月27日月曜日

ちょっと可笑しいところ

by 井上雪子


静かな佇まいの珈琲専門店、本牧間門のカフェハンズ、もちろんコーヒーはいつでも深く豊かな美味しさだが、マスターご夫妻から伺うお話もまた心の深くに残る。
久しぶりにお伺いした土曜日に、苦い、あまい、辛いというような大分類で終わらない日本人の味覚の多様な表現・・・。そんなことから始まったお話は、時間を遡り、世界を廻るようで楽しかった。
美味しいという一言、何かを追究し深化させる日本の気風、グルメリポーターやソムリエのコメント力は目覚ましく進化、缶コーヒーでもペットボトルのお茶でも、「究極の・・・」というところへ向かう。
そんなDNAは、もちろん俳句にも色濃くある。


日曜日、インターネットで初音ミクを聴いていた。初音ミク、16歳。たしかに究極の理想だ。年も取らなければ、絶対音感を持って黄金のプロポーションで踊る。いいよね、究極。
そういう究極に向きつつ、「ボカロ、踊ってみたよ・・・」というボーカロイドを踊る少年少女の動画、その投稿する意志をなんだかまぶしく思う。ボーカロイドと生音を行き来する米津玄師さんみたいな自在さにも惹かれる。ちょっと足太い・・・、この弱い心・・・、生きてる身体はいつも不完全で全力で。そんな身体表現がなぜか親しい気がする。


月曜日、カフェハンズのホームページ、『「HAND(手)」と「ZEAL(熱意)」の造語でCAFEHANZ、手づくりのこだわりを大切にしたい』とのメッセージを読みながら、ひとの心が安らぐ場所、ということを無意識のようなポテンシャルで自覚されていることを思う。
ひとりほおっておいてくれる時もあれば、気さくにわたくし事を話してくださることもある。一粒ずつの豆、手仕事、ていねいに扱う心持ち。細やかな自在さ。鍛えられている。
俳句もブログも、一語一音一文字を大切にしなければと思う。自分で認識できないだけで、私はもともと、どこか破綻し、何か抜けている。だから鍛え方を探している。


そういえば、缶コーヒーの山田孝之君のCMはシブいねとカフェハンズのマスターご夫妻と意見が一致したことを思い出した。ちょっと可笑しい、「究極」にはないような見過ごされそうな光。けれど確かな温かな。究極はもちろん遠い、しかし、ちょっと可笑しいところもまた遠い。
「俳句って、なんか、難しいよね」と言われてしまいがちな私が言うのもなんだが、お客さんより店長が偉そうな専門店は厭味だなあと思う。
究極に向かって全力、だから優しさを鍛える場所に座り、ちょっと可笑しい光も貯えたいと思う。








2015年7月20日月曜日

滝に詠えば

by 梅津志保


その滝は、遠くからでも見ることができた。

週末、静岡に行き、途中滝を見に行った。私は、滝に向かって川沿いの道を歩く。滝は、小さいが、しかし、力強く、山から生まれたばかりの水を落としていた。その滝を、とても好ましく思った。大人も子供も、滝壺の辺りで、笑顔で水を楽しむ。湧水をペットボトルに入れて持ち帰る人もいた。私も飲んでみた。喉が冷えて、体が元気になる。「生活水なので汚さないように。」という看板があった。近所には、家々が点在していた。

美しい滝のそばで暮らす人々。生活の一部で、特別に意識することはないのかもしれない。でも、家に帰ってきて調べると、滝のお祭りもあるようで、やはり近所の人に大切に守られて今があるのだと思いを巡らす。

滝の周りは、空気が澄んで、頭が冴える。その姿形、音、人々の暮らしを敬い、心に刻み、俳句につなげたい。

2015年7月14日火曜日

夏座敷にするまで

by 井上雪子


失業して次の仕事が始まるまで、ひと月ふた月、時間が開くことがある。古いものを捨てるチャンス、自己流プチリフォームの好機到来などといつも思う。だが履歴書を書いたり、求人誌をめくったり(『とらばーゆ』、見かけなくなったけど)、庭の草むしりで一日が終わったり、整理整頓も自分探しもいつも未完で時間切れになる。

だが、今回、ようやく地道に部屋の中の「物」に向き合い、これは何でここにあるのだっけ、と問いかける。「物」を通して、心が辿られ、判断を求められ、決定して、アクションを起こすという完結まで、自分自身に沈んでいくような時間がある。今しかない、ありがたい時間なのだと思う。超・葛藤、メッチャ逡巡、時々錯乱しつつ、地道に「物」(たぶん自分の過去の価値観)を、腹を据え、鏡のように見つめる。自分が把握しうる「物」以外は捨てる。

汗だくになって、文房具や書類やDM・・山となっていたり、あちこちに分散してるモノたちをじっくり何度も並び替え、小分けし、考える。そう、自分に向き合うことはやはり、楽しいことではない。だから来週は素敵なデスクを買おうとか、夜は美しいカーテンカタログを眺める。このムチと飴の日々にも、少しずつ時間にも気持ちにも余裕が出てきた。

『自分にとって必要な歌があるように、俳句が誰かから必要とされること』というみつまめミーティングの場での梅津さんの言葉、なんだか、今の自分にはとても大切なことのようにいつまでも心に残った。「I need you」、勇気のいる深く潔い決断だ。そして、「I don’t need you」、そんな別れに十七音を思う。手放すことを温かく笑えるような日が来るだろうか。夏座敷という美しい季語、そこまではがんばれと自分を励まし、水を飲む。







2015年7月6日月曜日

梅雨と食

by 梅津志保


『365日入門シリーズ 食の一句』(櫂未知子、ふらんす堂、2005年)7月5日は、

シャーベット明石の雨を避けながら 須原和男

である。雨が続く日々。何を食べれば元気が出るのだろうと、この本を開いたところ、気持ちよく、この句が飛び込んできた。

旅先の明石で雨に降られる。たどり着いたレストランで、シャーベットを食べる。シャーベットはメロン味だろうか。色は柔らかなグリーン、口の中に入れるとシャリシャリという音がする、口の中のひんやり感。明石の雨の中で、五感は磨かれる。

シャーベットは、夏の季語ということを、この句で初めて知った。今では、冬でもこたつでアイスを食べるCMが流れているが、冷たいものは夏に食べたい。ほかに夏の食の季語は何だろう。歳時記をめくっているうちに、食欲がわいてきた。明日は何を食べよう。食は明日への架け橋である。

2015年6月30日火曜日

学者と作家と電話番号

by 井上雪子


七夕やがて台風、横浜にいてもアジアだなあと感じられる大好きな季節が来る。今年は横浜にも積乱雲、立ち上がるだろうか。
大きな事件・事故・災害が続けざまだった6月、なかでもかなり驚いたのは三人の法学者が衆議院において一様に「この法案は憲法違反である」と表明したこと。そして、小説家だという方が沖縄の新聞社に対し「あそこには潰れてほしい」と発語したという伝聞(私語であったとか)。


科学・医学・歴史学、日進月歩で上書きされ、学者・識者が断定を避ける論調も仕方がないと思っていた。だから、憲法学者がそれぞれに事実を積み重ね、客観的な判断を示すために「私性」を捨てきったということにまず驚いてしまった。それは別の言い方をすれば、主体的なわたくし的な自分の意志、「私の思いなど捨ててしまうよ!」という個人の意志を通す強さ重さだ。学問の力、学者としての立場からの明快な断定、その意志の意味をずっと考えあぐねている。

ひるがえって小説家、個人的な主観で物語を自由に紡ぐのが使命の表現者だ。だから自分とは考えを異にする表現、あるいはその活動の自由を無条件に尊重するはず、だと私は思いこんでいた。
たぶん、子どもの頃に何かで読んだこんな言葉のように。
「君の言ってることは認めない、だが、君の発言の自由は必ず守る。」・・・。


それだから、かの沖縄の新聞に対する小説家からの発語の軽さには慄いてしまった。誰の発言であれその自由は保障する、そんな意志をまず置くのが創作に関わるひとではなかったか。根源的に食い違う主観がぶつかってしまったなら、お互いをジャッジできる場所へ向かうだろう。とても長い時間、困難に耐えて、表現者はその道を歩き、より豊かな視点や世界を受け取るものだろう、そう思ってきた。

だが、ヘイト・スピーチ、リベンジポルノ、信仰への揶揄・・・、異なるものへの排斥や攻撃、報復の連鎖、それぞれの自由を護ろうという理想には、すでに銃口が向けられている。
正しさはなぜ一つだけなのか、本当に一つしかないのか、異教徒、異民族、異心をゆるして歩く道がこんなにも見つからないのはなぜか。ともに答えを見つけたくなるような、温かな深い問いを届けることを急ごうと思う。

それでも自分と異なる何かを許容できず、柔らかな力も意志も見失ってしまうことはある。
そんな時には、私は街の上をいつでも流れている大きな流れを探す。地層の露出した崖をぼんやり、真夜中の星空をひっそり、今日の運勢(無料占い)ちらりちらり。圧倒的な大きさ、気の遠くなる長さ、自分の名前も国籍も、生物・無生物の分類もあっと丸呑みにされる。
偶然ではなく、必然でもなく、予測不可能。
それを混沌と呼ぶか秩序と呼ぶか、「彼方の向こう側」と呼ばれる場所はどこにあるのか、それともないのか。誰にもわからないことを思う。魂が呼びだされる電話番号はたぶんそこで見つかる。






2015年6月22日月曜日

by 梅津志保


夏は、たくさんの動物が動く季節である。

今年、2回、我が家で天道虫を見た。電気を付けてしばらくするとチカチカと天井を飛び回ったり、カーテンに止まっていたり。独特の赤い色は、とても目につき、「目立つこの色でよかったね」と思い、捕まえては外へ逃がす。

指先から空へ飛び立つ様が、とても良い。小さな黒い羽根を細かく動かし、一目散に空に飛び立つ。自分の気持ちも解放されたような気持ちになる。

何か緑の物が動いた!と思ってよく見ると、蟷螂の子が玄関の硝子戸にしがみついていた。蟷螂は秋の季語だが、子は今頃よく見る。指先に乗るほど小さいが、きちんと鎌を持ち上げ、三角形の頭、大きな眼の、その独特な形は、大小関係なく、間違いなく蟷螂に生まれてきたことを証明していて、家には入らず、しばらくその姿を見てしまった。

蚊の子、ボウフラを食す玄関先の水草の桶に放たれたメダカ。駐車場の主のヤモリ。「僕等はみんな生きている」という歌をふと思い出した。

生きものの夏

by 梅津志保


夏は、たくさんの動物が動く季節である。

今年、2回、我が家で天道虫を見た。電気を付けてしばらくするとチカチカと天井を飛び回ったり、カーテンに止まっていたり。独特の赤い色は、とても目につき、「目立つこの色でよかったね」と思い、捕まえては外へ逃がす。

指先から空へ飛び立つ様が、とても良い。小さな黒い羽根を細かく動かし、一目散に空に飛び立つ。自分の気持ちも解放されたような気持ちになる。

何か緑の物が動いた!と思ってよく見ると、蟷螂の子が玄関の硝子戸にしがみついていた。蟷螂は秋の季語だが、子は今頃よく見る。指先に乗るほど小さいが、きちんと鎌を持ち上げ、三角形の頭、大きな眼の、その独特な形は、大小関係なく、間違いなく蟷螂に生まれてきたことを証明していて、家には入らず、しばらくその姿を見てしまった。

蚊の子、ボウフラを食す玄関先の水草の桶に放たれたメダカ。駐車場の主のヤモリ。「僕等はみんな生きている」という歌をふと思い出した。

2015年6月15日月曜日

柔らかな姿勢 

by 井上雪子


6月、都市の梅雨は不思議なエア・ポケットだ。本を読む時間が増え始め、頂いた詩集をペパーミントグリーンの筆ペンで書写してみたり、横浜市立図書館の検索・貸出サービスでたくさん詩の本を借りたり。
昼間の電車や地下鉄に乗って、浦島太郎が玉手箱を開けてしまったような気分を感じつつ、コーヒー屋さんのテーブルにノートを開いたり。ああ、ひさしぶりだこと。


谷川俊太郎さんの、『僕はこうやって詩を書いてきた***谷川俊太郎、詩と人生を語る』を読む。その平明な言葉が、素直な自分を呼び起してくれる。
自分のしてきたいろいろなこと、リアルなできごと、かなしみ、愛しさ、滑稽さ・・・。澄んで光る言葉の痛み、言葉の幸福な孤独、そんな世界を歩く。とても気持ちがいい。

自分と世界と読み手という、表現の基本に立つ谷川俊太郎さんの柔らかな姿勢が、詩型を突きぬけて届く。あまくて苦いひとの暮らしが、透き通ってしまう場所、身体も心も自由に言葉となって行かれるどこか。
急ぐことの苦手な私は「ゆっくりゆきちゃん」(『わらべうた 続』)を読みながら、海辺か川のある街に引っ越したくなった。


『僕はこうやって詩を書いてきた***谷川俊太郎、詩と人生を語る』
(谷川俊太郎 山田馨 ナナロク社 2010年)


『わらべうた 続』(詩:谷川俊太郎 絵:森村玲 集英社 1982年)


2015年6月7日日曜日

炭と向き合う夏

by 梅津志保


バーベキューセットとダッチオーブンを買い、休日、家のベランダで炭を熾し、煮込み料理に挑戦した。慣れていないこともあるが、想像以上に、時間がかかった。5時から始めて、食べ始めは9時近くになっていたと思う。炭が燃え始めるまで、息を吹きかけたり、団扇で風を送ったりと火の番をする。燃え始めてからも、油断が出来ず、この炭に、この大きさの炭を重ねて、風が通るように・・・と調整し、火力が強くなるまで、鍋が温まるまでじっと待つ。いかにガスや電気の生活が便利であることか。

しかし、炭を熾すという作業は、自分の体を動かしてエネルギーを生み出すということからなのか、妙な自信を私に与えてくれた。そして、普段の生活では、電子レンジのタイマーをセットすれば15分で料理は完成、また、電車の乗換情報を使えば、この電車に乗って何分に駅に着いて、乗り換えは何分など、無駄なく効率的よく動いて、時間を手に入れたつもりでいた。でも、そんなところから少し外れた炭を熾すという時間は、とてもゆっくりと、そして、いろいろ思い通りにいかないことを教えてくれる。

「炭」は冬の季語であるが、暖房に利用しなくなった現代では、バーベキューの夏の季語で使うこともありそうだ。だが、やはり、炭のあのぽっとした赤々とした感じは、冬の寒さの対比としてあってほしいなとも思う。


2015年6月1日月曜日

一気読みする深さ、立ちどまる遠さ

by 井上雪子


過日、東京神田神保町、沖積舎OKIギャラリーで開催されていた『夏石番矢自選百句色紙展』にお伺いした。 豪快な墨筆、地球という星を大地として把握できる感受性、都市固有の匂いを明らかに漂わせている詩性、俳句という古びたものの新しいかたちに見飽きることはなかった。

鎌倉佐弓さん、伊丹啓子さんがいらっしゃって柔らかなトーンでお話をしてくださったり、与謝野晶子をはじめとする直筆の歌や句を拝見したり、緊張していた気持ちをおおきな時間と空間に連れ出していただいた。思い切ってお伺いして本当に良かったと思う(ありがとうございました)。

家に帰ってから、一気読みしたのが『写俳亭俳話八十年』(伊丹三樹彦)。ご伴侶の公子さんを看取られたお話から始まり、ご幼少時代の思い出(可愛らしい作文!)、日野草城先生のこと、見開き一頁に事物に即して思い出を語っているような文章から、悲しみや寂しさ、楽しさや不思議さ、何かが真っ直ぐに胸の奥へ豊かにやって来る。言い過ぎず、言い足りないことがない。

一方、ページを繰る手が止まってしまったのは、句集『海はラララ』(鎌倉佐弓)のあとがき。 感動を大切に、季語を大切に、言葉をていねいに・・・と歩んでこられた佐弓さんの思いに自分を省み、「私はどんな俳句を詠みたいのか、私らしい俳句って何だろう。」と、突きつめていく純粋さに問いかけられ、途中で何度も読みやめて、俳句について考える時間を持つ。びしっと決まった俳句も素敵だが、素顔を見せてくださるようなあとがきから深い時間を頂いたように思う。そしてまた俳句のページに戻れば、「福寿草だよね下向いてるけれど」。なんて自由な心もちであること。




「夏石番矢自選百句色紙展」
OKIギャラリー千代田区神保町(沖積舎)
平成27年5月19日(火)~28日(木)

伊丹三樹彦『写俳亭俳話八十年』(青群俳句会、2015年)

鎌倉佐弓 句集『海はラララ』(沖積舎、2011年)
 

2015年5月25日月曜日

谷崎潤一郎の時を泳ぐ

by 梅津志保


『レッドクリフ』、『となりのトトロ』、『細雪』。私は、テレビを見ていて、偶然この3本の映画の再放送をしていると、必ず最後まで見てしまう。特に『細雪』は、毎回美しい風景、言葉、人物像に引き込まれて、ゆったりとした時間を過ごすことができる。

県立神奈川近代文学館、「没後50年 谷崎潤一郎展-絢爛たる物語世界-」に行ってきた。展覧会は、谷崎潤一郎の一生を追ったものだ。私は、谷崎潤一郎の生涯をあまり知らずに行ったので、正直驚いてしまった。会場を進むうちに、たくさんの手紙、原稿の文字、そして愛した人々、その一生がまるで深く広い海のように感じた。私は、その中を泳ぎながら、なぜそんなに苦しまなくてはいけないのかと息苦しくなったり、美しいものを残したいという強い意志は、海で顔を上げた時の太陽の美しさ、まぶしさとの出会いなのではないかと思ったりした。

会場の出口を出ると、まさに海で泳いで、浜にたどりついたような気分だった。その一生や世界観に浸れたことをとてもうれしく思った。


青と茜が入り混じった横浜の美しい夕焼けを、どんな言葉で残したらいいのか。残すべきか。強い意識を持ち、突き詰めて考えながら海の見える坂道を下った。



特別展「没後50年 谷崎潤一郎展 ―絢爛たる物語世界」
県立神奈川近代文学館
平成27年4月4日(土)~5月24日(日)

2015年5月18日月曜日

若冲、何を描いたのか

by 井上雪子


港区六本木、サントリー美術館、「若冲と蕪村」展に行ってきた。 20年か30年か昔に感動した若冲だが、記憶もさすがに薄れていた。今回、あらためてその表現の圧倒的な凄さにう~ん、と唸ってしまった。

ひとつの作品、対象に注がれる天才的な繊細さと大胆さ、写実とデザインを自由に行き来する技術と表現欲、その時間と集中力、それが何枚も何枚もあるということ。 見たことのないものを描き上げようとする憑依のような妄想(白象の睫毛や虹のような牙?舌?)には、笑ってしまう楽しさが漂う。驚嘆と感動、そして謎。

このひとは何を描いているの?鶴だよ、鶏だよ、そうだよ。けれど、どれほどハイビジョンな鶏の写真、あるいは本物がいたとしても、何時間も観たいだろうか。もしかすると写実的にうまければうまいほど息がつまる様なつまんなさとは別のどこか、そこに若冲の凄さ、面白さがあるのかと思う。が、それが何から来ているのか、遂にわからないまま、出口に向かう。

視ることとは、描くとは、表現するとは、こういうことか。 言葉にはできないけれど若冲の眼が瞬間に掴み、若冲の指、若冲の精神力がここに描こうとした何かが画紙に生き続ける。 答えるのは言葉じゃなくて、筆の跡、墨の色、顔料の滲み、そして描かなかったもの。



「生誕三百年 同い年の天才絵師 若冲と蕪村」展
サントリー美術館
平成27年3月18日(水)~5月10日(日)


2015年5月11日月曜日

豊穣神に出会う

by 梅津志保


ゴールデンウィーク中は、川沿いの葉桜の中をよく歩いた。

草むらにしゃがんでいる少女二人がいたので、何をしているのかと覗き込むと、突然立ち上がった少女の手には蛇。その足元では猫が恨めしそうに、蛇を見上げている。私は、びっくりして逃げ出した。たぶん構図は、こうだ。猫が蛇を見つけ、少女が猫と蛇を見つけ、私が少女と猫と蛇を見つけ、びっくりして逃げ出す、まるで4コマ漫画のような展開だ。

振り返ると、もう一人の少女が「逃がしてあげなよ。」と言い、二人はスマホで記念撮影をした後、川に蛇を逃がした。

折り返し、同じ道を通った時、さっきの猫が、葉桜の下、何事もなかったかのように寝そべっていた。少女が手で蛇を持っていたこと、久しぶりに蛇を見たこと、蛇の長さ、クネクネとした動き、目の前の情景を忘れず、対象をもっともっと見つめたいと思った。帰ってきて歳時記で調べると、蛇は「豊穣神」なのだそうだ。

蛇から豊かな夏を受け取った。

2015年5月4日月曜日

泳げ、描け、書け

by 井上雪子


大人になって日本というあたりまえのなかに、そのユニークさを再発見していくにつれ、鯉のぼりという発想の大胆さにひかれるようになった。

しかし、ここ数年、初夏の空を泳ぐ不思議なその姿に見とれた記憶がないんだなあ。行動半径が狭くなったのか、空を見上げる時間がないのだろうか、子どもの少なさ、家のぎっしり感。あれこれ考えてみる。

激流の滝を登り終えた鯉が龍になったという後漢書にある故事、その大陸的な比喩は江戸時代の画師たちにインスパイアされ、戦国時代の勢いを引き継ぐように、江戸から明治、昭和へと、空を泳ぐさかな、鯉のぼりとして生き続けてきた。

だが、平成の鯉のぼり、プリントは鮮やかだけれど、龍になるつもりはないようにだらんとする(風がないのか、高くないのか、わからないけれど)。平和はよい。平和じゃなくちゃね、どの国の子も元気に育てよ、と願いつつ、昭和の子どもだった私の記憶にわずかに残る重い布のくすみ、あやしげな凄み、親子の呑気さ、ちょっと不気味な鯉のぼりが懐かしくもある。

毛筆・習字は苦手だった。けれど、たまには俳句を手書きしてみよう、プリントにない力を思い出そう、そんな五月の風が吹く。

2015年4月26日日曜日

通販と八十八夜

by 梅津志保


普段飲んでいるお茶の葉は、お店に電話をして注文、配送してもらっている。茶葉を売っていた店舗が閉店して買えなくなってからはこの方法にしている。送料もかかるので、つい多めに、ついでに実家にも・・・と店に電話をして配送を頼み、ほっとしたつかの間、ニュース番組で「もうすぐ八十八夜」と茶畑の様子を映すのを見て「しまった、もうすぐ新茶の季節だった!もう少し待っていれば!」と思った。

立春から数えて88日目にあたる5月2、3日。もうそんなに経ったんだという気持ちだ。今年は4月の雨が多く、春の陽を浴びていないからか、まだ体が春に慣れていない気がする。それでも、今日はいい天気で、蜂が庭にぶんぶん飛んでいたり、隣家の花壇のチューリップが大きく咲いていたり。春の合図は、たくさん私の周りにあったのに気が付いていなかった。

これを反省に、この季節のお茶の配送は、きっと気を付けるようになるだろう。そして、家で待つ通販だけに頼らずに、たまにはお店に、外に出てみたい。

新聞を読んでいいことは、ネットだと自分の気になる記事しか読まないが、新聞だといろいろな情報が入ってくるからいいという話を聞いた。

目的の物を手に入れるという効率以外にも、寄り道回り道、外に出る時間を何かにつなげたい。

2015年4月20日月曜日

ささやかな変化

by 井上雪子


三才年上の姉と私は、外見はよく似ていながら、性格とか性能は大きく異なる。この差異があるので仲良く映画を観に行くことができる、そう思うくらい異なる。

たとえば家で『バクダッド・カフェ』(1987年制作の西ドイツ映画)を観る前のこと。「たしか歌がすごく良かったよね」と、姉。私にはビジュアルな後半のストーリーを少し観たような記憶があるばかり。けれど、DVDを観終わった後、たしかにジェヴェッタ・スティールが歌うテーマ曲「コーリング・ユー」がしばらく私を呼び続けた。姉は耳の人、私は眼のひとなのだろう。

わけのわからないガラクタをさっさと片付け、 赤ん坊をあやし、少女を友達と呼ぶ、 でぶっちょのヤスミンのささやかな言動が砂漠の小さなホテルを変えていく。

簡素という豊かさ、おかしみ溢れる心の置きどころ、 『男はつらいよ』の寅さん、『かもめ食堂』にも通底する何か。 人という生きもの、 現実の生活、旅の途中の、そして見えないけれど呼びあい、揺らぎあうすべて。

失職して脱力状態の私に『バクダッド・カフェ』、 「なんだかわからないけれど、癒される」、そういう多くのファンの気持ちがストレートに わかった。


でも 私たちは知っているの
ささやかな変化が
もうすぐそこまでやって来ていることを
私はあなたを呼んでいるわ
ねえ、聞こえるでしょう?
(「コーリング・ユー」)


バグダッド・ホテルに予約をいれて、 東へと向かう列車に乗ろう。 何かが繋がる気配を想う。 姉は西へ行くらしい。

2015年4月13日月曜日

兎走る

by 梅津志保


国宝絵巻「鳥獣戯画」の本格的な修理が終わり、4月末から特別展が東京で開催される。

鳥獣戯画の作者は、誰なのか詳しいことは分かっていないらしい。でも、100年経った今でも、私たちは、つい笑顔になって作品を見る。そんな作品を残した作者、いい仕事をしているなぁと思う。

そして、この絵には説明する文字が無いことから自由に想像できるという楽しさがある。
俳句につい理屈や説明を入れて「あー、違う違う」と思うことがある。私を置いて、兎は走り、蛙は笑う。もっと自由で、もっとよく見て。

2015年4月6日月曜日

君が僕を知ってる

by 井上雪子


♪いままでして来た悪いことだけで
僕が明日有名になっても
どうってことないぜ、まるで気にしない・・・
「君が僕を知ってる」(RCサクセション)


3月と4月の境、不安と希望がシャッフルされるように大きく揺れる。 見送り、見送られ、ひとりになり、月のない空からやって来る時間にテレビをつけたら、ビッグスターが選ぶ春の歌みたいな番組、なぜか木村拓哉さんがどんな歌を選ぶのかが気になって(思いがけない歌を選びそうな気がして)、ぼんやりと観続けた。
そして、「君が僕を知ってる」が流れて来た。

歌いたいことを歌いたいように歌って、時に発売禁止をくらうキヨシロー、たったひとり理解者がいてくれるということの意味の深さ、それを超国民的アイドルの木村君が受け取っていてくれる。なんて、ブラボー!なんだろう。うまくできたりダメだったりするお互い、「愛し合ってるかい?」ってキヨシローの声がする。

東大に合格したら100万円、金メダルを獲得したら1000万円・・・、明快な目標が提示され、キャラで武装してゆくこどもや若者たち。

暮らしはもはや戦国時代とテレビは告げているけれど、優等生ばかりでも息がつまるし、ヤンキーばかりでもこわい。

桜はどの花もみんな同じに色かたちにみえる。けれど、「最後まで散らなかった桜はほかの花より優秀」ってことじゃない。美しく無駄のない動きは最速、でも数えきれない敗退者たちの努力をひとつの金メダルがチャラにしたりはしない。

そんな素の感性、負の価値の意味を「わかっていてくれる」君がいるはずなのだ。 誰ひとり同じじゃないから、ぶつかって跳ね返って繋がってキラキラする。
キヨシローが投げかけ続けた何か、たぶんきっと子どもたちの深くにも届いていくと思う、そんな4月が始まった。

2015年3月29日日曜日

緩やかな夕べ

by 梅津志保


『語る 兜太-わが俳句人生』(金子兜太、聞き手:黒田杏子、岩波書店、2014年)を読んでいる。

秋蚕仕舞う麦蒔き終えて秩父夜祭待つばかり 金子伊昔紅

金子兜太氏の父作詞、秩父音頭の歌詞とのことだが、人の暮らし、風土がぎゅっと凝縮されている。祭りを待つワクワクした気持ちが伝わってくる。

人によって、時間の流れは様々だと思う。毎月のルーチンワークで一年を思う人もいれば、一日の時間の流れで季節を感じる人もいる。

私は今、春の季語「春の暮」を強く感じている。会社を退社するとき、今までは真っ暗な道を歩いていたが、今は、少し明るくなった空に、街中のビルも、川も、輝いて見えて、気持ちがゆるりと夕べに解けていくように感じる。季節の少しの変化も当てはまる季語がある。改めてその力強さに驚く。

2015年3月23日月曜日

園庭のない保育園

by 井上雪子


近隣の保育園の先生から、 この三月に卒園する子どもさんたちの 手作りの版画カレンダーを頂いた。
カブトムシや鮫、向日葵や顔、 ボール紙を切り抜き、貼り合わせて刷ったそうだ。 画用紙いっぱい、のびのびと単純化されたかたち、 大胆で自由で力強い。
ささやかなお礼をと、 水仙のプランターをお届けしにはじめて その保育園に伺って、あっと思った。
お昼寝タイムの静かな雨の園には お庭がなかった・・・。
そうかぁ、みんなで公園に遊びに来てくれていたのは、 そういうことでもあったんだね・・。
横浜市の待機児童の多さ、 じつは他人事と思っていた自分の、 なんとも鈍感な心に自分で傷つく。
きんぎょ、チョウチョ、くわがた・・・、 生きものに真向かう力強い温かさ、 作品という定規をもたない子どもたちの表現は 邪心がなく、力作というか、傑作というか・・。
けれどそこにある、表現/アートという力には、 型の完成に向かおうとする美意識がある。
何かを届けたいと無意識に思っているだろうか、 未来というもの、 夢というものが胸にぐんと来る。

2015年3月16日月曜日

ぽとーん、ぽとーん。

by 井上雪子


公園の園路となっている階段に張り出していた 大木の枝を伐っていただいた。 今日、その階段を降りていくと、途中に小さな水溜りが ふたつ。
見上げると伐られた枝の切り口からの水が落ちて来る。
ぽとーん、ぽとーん、ぽとーん。
掌に受け、飲んでみようかと思った(やめておいたが)。
知ってはいたけれど、
土の中から根が吸い上げた水分が、 幹を通り、枝を抜け、葉に運ばれていく、 その目に見えない生命の力がふいに見える。
光りながら落ちて来る水玉。 
ぽとーん、ぽとーん。 
空、枝、土。 
見えないところで、 見えないように/見せないように、 水は生命を支え、繋げていく。 
腐り、倒れ、光が入り、長い時間が過ぎる。 
ぽとーん。

2015年3月2日月曜日

読めないね、あかぎれ

by 井上雪子


今年の冬、アカギレというものの痛さを知った。
私の幼児期はまだまだ横浜の冬も寒く、 厚ぼったい冬の肌着やしもやけ、 しもやけに塗る「桃のはな」という可愛い名前の べとべとのクリームをおぼえている。

だが、加齢というか老化というか、 昨年は踵、 今年は指の腹や関節の上側がピッと切れる。
意外によく効くアカギレクリームを塗るのは、 身体の変化を告げる声をゆっくり聞きとる時間なのかもしれない。

さて、あかぎれは皸、難しい漢字だなぁ。 パソコンで変換するという機会がなければ、読めないと思う。
俳句には時々、読めない漢字があり、 音がわからなくて考える。「手書き入力変換」機能をもつ電子辞書を買おうかと思うのだが、読めなくてもいいのかな、という思いが微かにある。

わたしもまた難しい漢字や英単語を俳句中に置いてしまうことがある。 ルビをふろうか、脚注の要不要などを考える。

が、 俳句講座で先生が仰るように、 「その文字、言葉が分からなくても、 表現(一句)の全体の意味を読み手は理解する」。

なので、誰に受け取ってほしいことがらなのか、 どう受け取ってほしい作品なのか、 眼と耳、知識の問題というよりも、 心と心のこととして考えてみる。

文意が屈折し、捻じれるままにすることもある。意味は分からないけど、このままが好きということもある。
楽しい問題だが答えはカンみたいなものになる。

2015年2月22日日曜日

自分への距離

by 井上雪子


『客が来てそれから急に買う団扇』、
板書された先生がゆっくりと問われる。
「これは俳句だろうか、川柳だろうか。」
昨年12月、フェリス女学院大学の俳句講座でのこと。

「川柳ではないでしょうか」との声に、 先生が明かした作者は阪井久良岐(明治時代に川柳の革新を行った方だ)。 季節感も挨拶的な趣も諧謔性もある五七五、 虚を衝かれたような戸惑いのまま、 先生の言葉を待つ。

「川柳の本質は『穿ち』、 作者の感動や感情を詠むためのものではない」。 そんなこと考えたことさえなかった自分を恥じつつ、 観察⇔主観⇔詠嘆=切れという俳句ならではの本質に 高速でしかも自然にたどり着く。 「学ぶ」ということの衝撃のような力。

俳句講座の1時間半はあっという間だが、 鑑賞という学びは、 長い時間に濾過されるように 表現/創作の根に届く。

講座のあと、ゆっくりと二宮茂男さんの川柳句集『ありがとう有難う』を拝読した。

ジグザグにこころを縫った敗戦日  二宮茂男
首かしげ回る地球の軽い鬱
私より少し不運な人と酔い
頬杖で支える今日のがらんどう

端正な一句一句は温かく、正直で、 ていねいに日々をみつめながら、 世界を広げる。

パスワード忘れ自分へ帰れない
積み上げたどの日も愛し古手帳

悲しいことは悲しみのままそこにあってよし、 ユーモアという自分への距離の取り方が、 素直に強く胸に届く。

「この句集は二宮茂男の自分史である」とする瀬々倉卓冶氏の「序」も、 とても深い光を投げかけ、川柳鑑賞のはじめの一歩を支えてくださった。

*二宮茂男『ありがとう有難う』(新葉館出版、2014年)。

2015年2月16日月曜日

デザインから想像する

by 梅津志保


リーフ柄のスカートを購入した。冬のクローゼットは、グレーや黒の無地の服が多く、そのリーフ柄のデザインのスカートが加わることで、クローゼットの中が一瞬華やぐ。私は、昨年、横浜高島屋で開催された「芹沢銈(金偏に圭)介の世界展」に行ったことを思い出した。

染色家芹沢の作品であるのれん、着物、帯が展示されていた。それらは実用品としてだけではなく、デザインが加わることで、芸術品として存在するということ、人を楽しませたり、驚かせることができるということを教えてくれる。

「水」と一文字染め抜かれたのれん。こののれんが、家や店先に掛けられていれば、様々な風が通り、またこののれんをくぐって、たくさんの人が出入りする。人との出会いは、風が吹くごとく、水が流れるごとく一瞬の清々しさ、自然と人が一体となる、そんなことを連想させる。

中でも私が一番好きなのは、「鯉泳ぐ文着物」だ(これを見に二回展覧会に足を運んだ。)。大小の鯉が何匹も、赤地の着物にデザインされている。鯉の大きな目と大胆な配置がとても印象的であり、圧倒される。この着物を着て人が現れたら、きっと注目されるだろう。着る人におめでたいことがあったのか、華やかな気持ちが表現されているように思う。

女子高生の二人組が、「このデザインおもしろいね。」と話しているのを見て、なんだかうれしくなった。このデザインを良しと思える若者がいて、これからの日本の文化も大丈夫!そんな気持ちになった。俳句も詩もデザインも日常にあるもの、忘れかけていた何かを教えてもらった。

2015年2月2日月曜日

案外痛い豆になる

by 井上雪子


先週、職場の大先輩から、節分(豆まき)のお菓子を頂いた。手のひらサイズのパックに、紙の枡・笑顔の鬼のお面・煎り大豆、 なんとも可愛らしい。

何よりもこれを買ってきてくださったということ自体が、 なにかとても可愛らしい(大先輩に失礼?)気がする。それでも、笑顔の鬼というのはなんだかなあ。

『鬼の研究』(馬場あき子著、ちくま文庫、1988年)を、きちんと読みたいなあと思いながら、寒明け前のニュース番組に、「格差」や貧しさというものを生み出す人の世の深い暗さを思う。

イスラム国の砂漠での処刑実行動画、2008年の秋葉原大量殺人事件被告に死刑判決、『21世紀の資本』の著者であるトマ・ピケティ氏の来日・・・。

その闇、その鬼たちに、このパッキングされた可愛い豆は案外痛いのだろうか。 桃太郎をさがすのか、鬼と共存するのか、答えはないだろうが、明日、豆は小さな声で撒くような気がする。

2015年1月19日月曜日

風の名前

by 梅津志保


河原の土手を犬を散歩しながら歩く。その日は風が強弱をつけて吹いている日で、私は全身に風を感じてぐんぐん歩く。

遮るものが無い空というのは、もうここにしか残されていないのかもしれない。凧を揚げている子供が数人いた。子供の後ろから見学させてもらう。父親が凧を見ながら子供に指示をする。子供が凧を操っているのだけど、凧が子供を引っ張っているようでもあり。子供と凧の真剣勝負は見ているだけで元気になる。

風にのって音楽が聞こえてきた。その方向に進むと、ラテン調のダンスを踊っている集団がいた。クルクルと回って、トントンと足でリズムを刻む。ふと、冬の大地に「起きよ、起きよ」と呼びかけているように思えた。太古の昔、私たちの祖先も、こんな風に踊ってきたのではないかと思いを馳せた。

私の周りにはたくさんの風が吹いている。それはただの風ではない。
初東風、北風、木枯、隙間風。風という一言で済ませるのではなく、耳を傾けて、肌で感じて、ひとつひとつの風の名前を大切にしたい。

2015年1月5日月曜日

御降や・・・で松の内に

by 井上雪子


御降や竹深々と町のそら  芥川龍之介


2015年、新しい一年の始まりですね。俳句ユニット「みつまめ」、どうぞ今年もよろしくお願いいたします。

さて、元日は横浜でも昼過ぎから雪になり、「御降(おさがり)」とはこういうものなのか、しばらく、洗濯物もそのままに眺め入りました。

12月の半ばにちょうど、実験的俳句集団『鬼』の代表を務めていらっしゃる復本一郎先生のお話を伺う機会に恵まれ、「御降(おさがり)」という新年の季語について、江戸時代からの歳時記を繙いていく深い面白さに感銘を受けたばかりでした。

元日に降る雨や雪というものから、三が日に・・・とするもの、松の内に・・・とするものなど、時代あるいは編者によってその定義が異なる「御降」、「ですから、季語は定義を厳密に取沙汰すること自体にはあまり意味がない」という復本先生の御説の柔軟さに驚かされました。

根拠を明確に持っているからこその「曖昧さの許容」、ありそうでないものなのだなあと思いました。

歳時記中の例句についても、その季語は主題として詠まれているのか否か、意識的に時間軸のなかで捉えていくそのまなざし、歳時記の深さがこれまで以上に深く思える学びとなりました。

また、昭和49年版の角川書店の『俳句歳時記』の例句が実に確かでよいというご指摘(歳時記を買うならこの年度のものがベストとか)、私が見過ごしてきた季語と歳時記と俳句との深い繋がり方が急にキラリと光って見えました。

読み、学ぶというなかに俳句の深さ楽しさがひろがりましたが、この珍しい元日の初雪、俳句にならない。というか、「積もらないように」なんて、仕事のことを思ってしまいました・・・。

今週は雨が降るらしいので、その日は会社休みます(と言ってみたい)。御降や・・・で松の内にできるといいなあ、なんて思うのです。