by 井上雪子
三才年上の姉と私は、外見はよく似ていながら、性格とか性能は大きく異なる。この差異があるので仲良く映画を観に行くことができる、そう思うくらい異なる。
たとえば家で『バクダッド・カフェ』(1987年制作の西ドイツ映画)を観る前のこと。「たしか歌がすごく良かったよね」と、姉。私にはビジュアルな後半のストーリーを少し観たような記憶があるばかり。けれど、DVDを観終わった後、たしかにジェヴェッタ・スティールが歌うテーマ曲「コーリング・ユー」がしばらく私を呼び続けた。姉は耳の人、私は眼のひとなのだろう。
わけのわからないガラクタをさっさと片付け、
赤ん坊をあやし、少女を友達と呼ぶ、
でぶっちょのヤスミンのささやかな言動が砂漠の小さなホテルを変えていく。
簡素という豊かさ、おかしみ溢れる心の置きどころ、
『男はつらいよ』の寅さん、『かもめ食堂』にも通底する何か。
人という生きもの、
現実の生活、旅の途中の、そして見えないけれど呼びあい、揺らぎあうすべて。
失職して脱力状態の私に『バクダッド・カフェ』、
「なんだかわからないけれど、癒される」、そういう多くのファンの気持ちがストレートに
わかった。
でも 私たちは知っているの
ささやかな変化が
もうすぐそこまでやって来ていることを
私はあなたを呼んでいるわ
ねえ、聞こえるでしょう?
(「コーリング・ユー」)
バグダッド・ホテルに予約をいれて、
東へと向かう列車に乗ろう。
何かが繋がる気配を想う。
姉は西へ行くらしい。
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