2016年3月22日火曜日

偽装する私と俳句

by 井上雪子


『保育園落ちた・・・まじいい加減にしろ日本。』
そんな匿名のブログがあっという間に国会まで駆け抜ける。このくらいの舌鋒や論理展開は珍しくはない。何が違うのかなと気になる。

ネットやテレビや新聞や雑誌、『表現』もまたいつの間にか、『素』という防護服を着ている気がする。『私』を偽装し、脚本や鋳型はないかのように笑い、自分の気持ちに疎くなっていく。いじめから逃れるこどもたちも同じだろうか。

『保育園落ちた』という、まったく個人的な問題を運が悪かったよね~とかではなく、『まじいい加減にしろ日本。』、『個人の不幸を国が見捨てていいのかよ』と白い旗を振る力。 日本人離れした土俵際での突っ張りに軍配はあがった。言ったっていいのだ、匿名なら・・・。

俳句は『元祖・偽装』、句会は匿名をもって旨とすべし、の世界。一読で誰の俳句かわかる個の表現の力よりも、季語、五・七・五、切れ字など、型(かなり広い土俵だが)を問う。

連歌からの独立とか子規の月並み俳句への攻撃、それは何のためだったのだろうか。

まったく個人的な感動を『まじ泣けよおまえ』とまで攻める度胸とツッパリを思う。リーゼントなんて絶滅したけど、そんな力士をこそっと創造して土俵に乗せ、ちょこっと笑う。言ったっていいのだ、匿名なら・・・。四股名のように俳号を考えてみる三月の月夜。

2016年3月16日水曜日

梅日記

by 梅津志保


苗字に花の名前(梅)が付いて十数年。梅は松竹梅の一番下、また春は桜に押され気味。そんな印象を持っていたが、苗字に花の名前があるというのもなにかの縁。今年は、いつも以上に梅の花を観察した。

近所の梅園の梅は、夜よく香る。雨上がりには深呼吸。2軒先のお家の庭には、赤と白の梅が咲き、おめでたい感じがする。

花や枝を観察すると、とてもいいなと思ったのは、花が枝を邪魔していないこと。枝の伸びやかさに寄り添うようにぽつぽつ咲く花の両方が春の空に伸びていてとても気持ちがいいと思った。

今日辺りは、梅園の梅の花も終わりに近づいていた。桜にバトンタッチ。来年も梅の花の観察して新たな発見をしたい。

2016年3月9日水曜日

歌が歌ではなくて

by 井上雪子


自宅の近くに大きくて新しいマクドナルドがある。そこでコーヒーを飲んでいたら、なんだか、不思議な音楽が流れてきた。たぶんヨーロッパ系の、しいて言えばロックっぽい曲なのだが、「意味を持たない」歌を歌おうとしている、そんな思いが伝わってくる。

マックの音楽はたぶん、聴くことを意識させないものが選ばれているのだろう、ふと気になり印象に残る音楽は珍しい。

低い、男のヴォーカルは歌詞をうたってはいない。 呪文とかお経でもなく、言葉でもない。メロディでもリズムでさえもない。これはなんだろう。

歌ではなくなるエッジの上の歌、 歳時記から放たれた俳句のようなものだろうか。 あの歌はどこへ向かって、届き、育つのだろうか。