2015年7月27日月曜日

ちょっと可笑しいところ

by 井上雪子


静かな佇まいの珈琲専門店、本牧間門のカフェハンズ、もちろんコーヒーはいつでも深く豊かな美味しさだが、マスターご夫妻から伺うお話もまた心の深くに残る。
久しぶりにお伺いした土曜日に、苦い、あまい、辛いというような大分類で終わらない日本人の味覚の多様な表現・・・。そんなことから始まったお話は、時間を遡り、世界を廻るようで楽しかった。
美味しいという一言、何かを追究し深化させる日本の気風、グルメリポーターやソムリエのコメント力は目覚ましく進化、缶コーヒーでもペットボトルのお茶でも、「究極の・・・」というところへ向かう。
そんなDNAは、もちろん俳句にも色濃くある。


日曜日、インターネットで初音ミクを聴いていた。初音ミク、16歳。たしかに究極の理想だ。年も取らなければ、絶対音感を持って黄金のプロポーションで踊る。いいよね、究極。
そういう究極に向きつつ、「ボカロ、踊ってみたよ・・・」というボーカロイドを踊る少年少女の動画、その投稿する意志をなんだかまぶしく思う。ボーカロイドと生音を行き来する米津玄師さんみたいな自在さにも惹かれる。ちょっと足太い・・・、この弱い心・・・、生きてる身体はいつも不完全で全力で。そんな身体表現がなぜか親しい気がする。


月曜日、カフェハンズのホームページ、『「HAND(手)」と「ZEAL(熱意)」の造語でCAFEHANZ、手づくりのこだわりを大切にしたい』とのメッセージを読みながら、ひとの心が安らぐ場所、ということを無意識のようなポテンシャルで自覚されていることを思う。
ひとりほおっておいてくれる時もあれば、気さくにわたくし事を話してくださることもある。一粒ずつの豆、手仕事、ていねいに扱う心持ち。細やかな自在さ。鍛えられている。
俳句もブログも、一語一音一文字を大切にしなければと思う。自分で認識できないだけで、私はもともと、どこか破綻し、何か抜けている。だから鍛え方を探している。


そういえば、缶コーヒーの山田孝之君のCMはシブいねとカフェハンズのマスターご夫妻と意見が一致したことを思い出した。ちょっと可笑しい、「究極」にはないような見過ごされそうな光。けれど確かな温かな。究極はもちろん遠い、しかし、ちょっと可笑しいところもまた遠い。
「俳句って、なんか、難しいよね」と言われてしまいがちな私が言うのもなんだが、お客さんより店長が偉そうな専門店は厭味だなあと思う。
究極に向かって全力、だから優しさを鍛える場所に座り、ちょっと可笑しい光も貯えたいと思う。








2015年7月20日月曜日

滝に詠えば

by 梅津志保


その滝は、遠くからでも見ることができた。

週末、静岡に行き、途中滝を見に行った。私は、滝に向かって川沿いの道を歩く。滝は、小さいが、しかし、力強く、山から生まれたばかりの水を落としていた。その滝を、とても好ましく思った。大人も子供も、滝壺の辺りで、笑顔で水を楽しむ。湧水をペットボトルに入れて持ち帰る人もいた。私も飲んでみた。喉が冷えて、体が元気になる。「生活水なので汚さないように。」という看板があった。近所には、家々が点在していた。

美しい滝のそばで暮らす人々。生活の一部で、特別に意識することはないのかもしれない。でも、家に帰ってきて調べると、滝のお祭りもあるようで、やはり近所の人に大切に守られて今があるのだと思いを巡らす。

滝の周りは、空気が澄んで、頭が冴える。その姿形、音、人々の暮らしを敬い、心に刻み、俳句につなげたい。

2015年7月14日火曜日

夏座敷にするまで

by 井上雪子


失業して次の仕事が始まるまで、ひと月ふた月、時間が開くことがある。古いものを捨てるチャンス、自己流プチリフォームの好機到来などといつも思う。だが履歴書を書いたり、求人誌をめくったり(『とらばーゆ』、見かけなくなったけど)、庭の草むしりで一日が終わったり、整理整頓も自分探しもいつも未完で時間切れになる。

だが、今回、ようやく地道に部屋の中の「物」に向き合い、これは何でここにあるのだっけ、と問いかける。「物」を通して、心が辿られ、判断を求められ、決定して、アクションを起こすという完結まで、自分自身に沈んでいくような時間がある。今しかない、ありがたい時間なのだと思う。超・葛藤、メッチャ逡巡、時々錯乱しつつ、地道に「物」(たぶん自分の過去の価値観)を、腹を据え、鏡のように見つめる。自分が把握しうる「物」以外は捨てる。

汗だくになって、文房具や書類やDM・・山となっていたり、あちこちに分散してるモノたちをじっくり何度も並び替え、小分けし、考える。そう、自分に向き合うことはやはり、楽しいことではない。だから来週は素敵なデスクを買おうとか、夜は美しいカーテンカタログを眺める。このムチと飴の日々にも、少しずつ時間にも気持ちにも余裕が出てきた。

『自分にとって必要な歌があるように、俳句が誰かから必要とされること』というみつまめミーティングの場での梅津さんの言葉、なんだか、今の自分にはとても大切なことのようにいつまでも心に残った。「I need you」、勇気のいる深く潔い決断だ。そして、「I don’t need you」、そんな別れに十七音を思う。手放すことを温かく笑えるような日が来るだろうか。夏座敷という美しい季語、そこまではがんばれと自分を励まし、水を飲む。







2015年7月6日月曜日

梅雨と食

by 梅津志保


『365日入門シリーズ 食の一句』(櫂未知子、ふらんす堂、2005年)7月5日は、

シャーベット明石の雨を避けながら 須原和男

である。雨が続く日々。何を食べれば元気が出るのだろうと、この本を開いたところ、気持ちよく、この句が飛び込んできた。

旅先の明石で雨に降られる。たどり着いたレストランで、シャーベットを食べる。シャーベットはメロン味だろうか。色は柔らかなグリーン、口の中に入れるとシャリシャリという音がする、口の中のひんやり感。明石の雨の中で、五感は磨かれる。

シャーベットは、夏の季語ということを、この句で初めて知った。今では、冬でもこたつでアイスを食べるCMが流れているが、冷たいものは夏に食べたい。ほかに夏の食の季語は何だろう。歳時記をめくっているうちに、食欲がわいてきた。明日は何を食べよう。食は明日への架け橋である。