by 井上雪子
『客が来てそれから急に買う団扇』、
板書された先生がゆっくりと問われる。
「これは俳句だろうか、川柳だろうか。」
昨年12月、フェリス女学院大学の俳句講座でのこと。
「川柳ではないでしょうか」との声に、
先生が明かした作者は阪井久良岐(明治時代に川柳の革新を行った方だ)。
季節感も挨拶的な趣も諧謔性もある五七五、
虚を衝かれたような戸惑いのまま、
先生の言葉を待つ。
「川柳の本質は『穿ち』、
作者の感動や感情を詠むためのものではない」。
そんなこと考えたことさえなかった自分を恥じつつ、
観察⇔主観⇔詠嘆=切れという俳句ならではの本質に
高速でしかも自然にたどり着く。
「学ぶ」ということの衝撃のような力。
俳句講座の1時間半はあっという間だが、
鑑賞という学びは、
長い時間に濾過されるように
表現/創作の根に届く。
講座のあと、ゆっくりと二宮茂男さんの川柳句集『ありがとう有難う』を拝読した。
ジグザグにこころを縫った敗戦日 二宮茂男
首かしげ回る地球の軽い鬱
私より少し不運な人と酔い
頬杖で支える今日のがらんどう
端正な一句一句は温かく、正直で、
ていねいに日々をみつめながら、
世界を広げる。
パスワード忘れ自分へ帰れない
積み上げたどの日も愛し古手帳
悲しいことは悲しみのままそこにあってよし、
ユーモアという自分への距離の取り方が、
素直に強く胸に届く。
「この句集は二宮茂男の自分史である」とする瀬々倉卓冶氏の「序」も、
とても深い光を投げかけ、川柳鑑賞のはじめの一歩を支えてくださった。
*二宮茂男『ありがとう有難う』(新葉館出版、2014年)。
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