by 井上雪子
今年の冬、アカギレというものの痛さを知った。
私の幼児期はまだまだ横浜の冬も寒く、
厚ぼったい冬の肌着やしもやけ、
しもやけに塗る「桃のはな」という可愛い名前の
べとべとのクリームをおぼえている。
だが、加齢というか老化というか、
昨年は踵、
今年は指の腹や関節の上側がピッと切れる。
意外によく効くアカギレクリームを塗るのは、
身体の変化を告げる声をゆっくり聞きとる時間なのかもしれない。
さて、あかぎれは皸、難しい漢字だなぁ。
パソコンで変換するという機会がなければ、読めないと思う。
俳句には時々、読めない漢字があり、
音がわからなくて考える。「手書き入力変換」機能をもつ電子辞書を買おうかと思うのだが、読めなくてもいいのかな、という思いが微かにある。
わたしもまた難しい漢字や英単語を俳句中に置いてしまうことがある。
ルビをふろうか、脚注の要不要などを考える。
が、
俳句講座で先生が仰るように、
「その文字、言葉が分からなくても、
表現(一句)の全体の意味を読み手は理解する」。
なので、誰に受け取ってほしいことがらなのか、
どう受け取ってほしい作品なのか、
眼と耳、知識の問題というよりも、
心と心のこととして考えてみる。
文意が屈折し、捻じれるままにすることもある。意味は分からないけど、このままが好きということもある。
楽しい問題だが答えはカンみたいなものになる。
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