by 井上雪子
御降や竹深々と町のそら 芥川龍之介
2015年、新しい一年の始まりですね。俳句ユニット「みつまめ」、どうぞ今年もよろしくお願いいたします。
さて、元日は横浜でも昼過ぎから雪になり、「御降(おさがり)」とはこういうものなのか、しばらく、洗濯物もそのままに眺め入りました。
12月の半ばにちょうど、実験的俳句集団『鬼』の代表を務めていらっしゃる復本一郎先生のお話を伺う機会に恵まれ、「御降(おさがり)」という新年の季語について、江戸時代からの歳時記を繙いていく深い面白さに感銘を受けたばかりでした。
元日に降る雨や雪というものから、三が日に・・・とするもの、松の内に・・・とするものなど、時代あるいは編者によってその定義が異なる「御降」、「ですから、季語は定義を厳密に取沙汰すること自体にはあまり意味がない」という復本先生の御説の柔軟さに驚かされました。
根拠を明確に持っているからこその「曖昧さの許容」、ありそうでないものなのだなあと思いました。
歳時記中の例句についても、その季語は主題として詠まれているのか否か、意識的に時間軸のなかで捉えていくそのまなざし、歳時記の深さがこれまで以上に深く思える学びとなりました。
また、昭和49年版の角川書店の『俳句歳時記』の例句が実に確かでよいというご指摘(歳時記を買うならこの年度のものがベストとか)、私が見過ごしてきた季語と歳時記と俳句との深い繋がり方が急にキラリと光って見えました。
読み、学ぶというなかに俳句の深さ楽しさがひろがりましたが、この珍しい元日の初雪、俳句にならない。というか、「積もらないように」なんて、仕事のことを思ってしまいました・・・。
今週は雨が降るらしいので、その日は会社休みます(と言ってみたい)。御降や・・・で松の内にできるといいなあ、なんて思うのです。
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