2015年5月4日月曜日

泳げ、描け、書け

by 井上雪子


大人になって日本というあたりまえのなかに、そのユニークさを再発見していくにつれ、鯉のぼりという発想の大胆さにひかれるようになった。

しかし、ここ数年、初夏の空を泳ぐ不思議なその姿に見とれた記憶がないんだなあ。行動半径が狭くなったのか、空を見上げる時間がないのだろうか、子どもの少なさ、家のぎっしり感。あれこれ考えてみる。

激流の滝を登り終えた鯉が龍になったという後漢書にある故事、その大陸的な比喩は江戸時代の画師たちにインスパイアされ、戦国時代の勢いを引き継ぐように、江戸から明治、昭和へと、空を泳ぐさかな、鯉のぼりとして生き続けてきた。

だが、平成の鯉のぼり、プリントは鮮やかだけれど、龍になるつもりはないようにだらんとする(風がないのか、高くないのか、わからないけれど)。平和はよい。平和じゃなくちゃね、どの国の子も元気に育てよ、と願いつつ、昭和の子どもだった私の記憶にわずかに残る重い布のくすみ、あやしげな凄み、親子の呑気さ、ちょっと不気味な鯉のぼりが懐かしくもある。

毛筆・習字は苦手だった。けれど、たまには俳句を手書きしてみよう、プリントにない力を思い出そう、そんな五月の風が吹く。

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