2014年8月4日月曜日

グラデーション

by 西村遼


最近は西東三鬼の自伝的小説『神戸』(講談社文芸文庫)を読んでいる。 
自分も以前神戸に住んでいたことがあり、小説の中で描かれる町並みや空気感にどことなく親密なものを感じるので、生彩のある三鬼の筆が好ましく思える。 

世界中を放浪するエジプト人や元看護婦の娼婦、スピード狂の冒険家など、この小説の中で三鬼が紹介する奇妙な人々の多くは移動する者たちであり、国境や階層を越えて生きることを自明のこととして受け入れている。世界中の国々が互いを劣等人種と呼んで殺し合っていた時代では、それはある種法外な生き方だっただろう。
三鬼はそういう人たちに対してほとんど幻想を抱かず、ただ冷静な観察とほどよい親切心だけで向き合っている。 そこが良い。

自分がいた頃の記憶を思い出すと、神戸の街は海へ向かって落ちるすべり台のような姿をしているので、南北方向に坂を上り下りするのと東西方向に水平に歩くのでは印象が変わったのがおもしろかった。
垂直に移動すれば山の手から下町、港湾までの間に少しずつ経済の格差が広がっていくのが分かるし、東西に移動すれば町ごとのカラーが変わっていく。 
なんでもアリのごちゃ混ぜではなく、通りを一本抜けるたびに薄皮一枚ほどの変化を身体が感じるようなグラデーションのある町だった。 

『神戸』の登場人物たちも、コスモポリタンとは言えどんな場所に行っても自分を曲げないような人たちではなく、その場その場の色に合わせて変わり続けて生きてきた人たちだったのではないかと思う。三鬼の強靭な繊細さがその微細な心の動きをとらえている。

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