2014年2月4日火曜日

夢の殴り書き

by 西村遼


初夢というのは元旦に見る夢という説と二日の朝に見る夢という説の二つがあるとは聞いていましたが、それだけでなく三日の朝に見る夢という説もあるそうです。しかしどの説が正しいにせよ、夢を見たはしから即忘れてしまう私には残念ながら今年の初夢のご報告はできません。もしおぼえていられれば、このブログは以降数千文字に渡って我が神秘の内的世界の披瀝の場となったことでしょうが。
 
およそ他人が見た夢の話ほど愚にもつかない話はないと言われ続けていますが、それでもなお人に語ってみたくなるのも夢の不思議というもの。私はもともとわりあい印象のはっきりした夢を見る一方で、目覚めて数分で内容を忘れてしまうため、おぼえているうちに寝ぼけ眼でとっさに机上のメモに内容を書き付ける癖があるのですが、たとえば先日のメモにはこうあります。

昆虫戦士コオロギン

さあ、私の脳内で朝方どのような物語が展開したかご興味が生まれたでしょうか。それとも無言でこのブログの画面を閉じようとしたところでしょうか。残念なことに、私自身この夢について何一つ語るべき記憶を持たぬ今となっては、メモに下手な字で殴り書かれたこの単語のみが夢世界の私と現在の私とを結び付ける唯一の項なのです。
 
昔から「胡蝶の夢」とか「邯鄲一睡の夢」とかの故事が好きで、毎夜おもしろい夢が見たいと思いながら布団に入る子供でしたが、残念なことに夢の中の出来事を言語化して記憶するのが苦手で、ほとんどの場合はただ覚め際に一瞬の感情の波跡だけを残し、天井を見上げながらうっすらと悲しくなったり、変に気持ちが軽くなったり、やたら憤慨しているが理由は全くおぼえていなかったりと、夢はただ横ざまに脈絡なしの感情を日常に残していくものでした。もとより意味や物語など求めても仕方ないのでしょうが、忘却の一瞬前までは確かに何かあったはず、と思うと寂しいようなもったいないような気がします。

そういえば一度だけ、夢の中で短歌が浮かんだことがあります。翌朝メモにちゃんと定型に則った文字列が残っていた時にはやった!と思いましたが、改めて見ると、おもしろみは少しあるものの推敲不足、そもそも題材から練り直しが必要、類想あり、とお決まりのコースをたどり、これなら目覚めた時に作る方が早い、とのオチに行き着いたのでした。どっとはらい。

初夢に眼鏡忘れてきたりけり  西村 遼

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