職場のほど近くの立派な神社、その階段をゆっくりあがっていくと空はとても青く見え、二礼二拍一礼、頭の中を空っぽにしやすくなります。
しばらくの静けさが耳を洗って、さて、100円玉をころろ~ん、一番取りやすく見える巻紙をひとつ、開くまでのちょっとスリリングな気持ちを楽しみつつ職場に戻ります。
ああ、これは今の自分にとても適っている。「そうそう、正直に、まっすぐに・・・だね~」と、必ず頷いてしまう。
たとえそれが一方通行のあてずっぽうだとしても、「私」にダイレクトに語りかけられている言葉というのは、なにか幸福で開かれているような、ラブレターをもらったような温かさ。
心のもやもやにすーっと光が射すように「私」に届いてくる言葉、お御籤には、そんな不思議な力があります。
自分では気がつかないのですが、なにか嫌なことがあった後や、ちょっと新しいことを始めようと思う時に足を運んでいるからでしょうか、神様目線の表現と自分の目指す何かが共振しやすくなっているようにも思います。
あなたの幸福を誰よりも願っている私の言葉を信じなさい。
自然の法則に従うことがすべてです。
正しく優しく言葉を届けなさい。
いつの時代に誰が始めたのかは知りませんが、長い年月をサバイバルしてきた、確かな言葉の力のあり方、それはきっとひとの表現のはじめにあった祈り、詩歌の根っこの思いなのだと思います。
めずらしく大吉だったお御籤を読み返しながら、俳句もまた、そもそも言祝ぐものということを思い出しました。
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