2014年9月16日火曜日

難病とユーモアと

by 井上雪子


8月の終わりころだったろうか、ALSアイスバケツチャレンジ。夕方のニュース番組でその映像を目にした折、私はかなり驚いた。まずはその明るさ、ニュース番組にはそぐわないほどの面白く美しい映像だった。作り物ではない美しさなのだ。ALSという難病への理解と支援、その善意に才あるひとの余裕の笑顔とびしょ濡れの勇気、そして、そのユーモアたっぷりな映像にほんの少しひっかかるものが残った。

ALS(筋萎縮性側索硬化症)とは、脳や末梢神経からの命令を筋肉に伝える運動ニューロン(運動神経細胞)が侵され体中の筋肉が動かせなくなってゆき、やがては死に向うという難病。五感(視覚、聴覚、臭覚、味覚、触覚)、記憶、知性を司る神経は侵されにくく、痛いという感覚はあるのに、身体を動かし、避けることができない。


そして、治療法は確立されていない。脳性マヒとも、脳梗塞などの後遺症ともまた異なる恐怖感、自覚的に耐える、もどかしくて気が狂いそうな日々、それは私には実感することができない。

ビル・ゲイツ、レディ・ガガ、孫正義や山中伸弥、みなさん、悪意のかけらもない。映像は明るく、笑いを誘い、ALSを理解し、共感し、支援しようとするその姿勢を尊敬や共感を持って見ていた。それでも、ALS患者さんへの優しさや温かさよりも、勝ち組のひとたちの強さ/いかなる時にもポジティブという強さにかすかに戸惑った。編集がそういう意図なのだろうか、そうであるならそのことを訝しく感じる。

勝ち負けの世界が苦手な私だから、そんなことを思うのだろうか。元気なアイスバケツチャレンジャーさんもまた、他者とは分かち合えない恐怖や苦しみを抱えてもいるだろう。だが、自分がALSだと告知されたり、パートナーがALSだと分かった時にも人はなお、強く明るく生きていかなければならないのだろうか、強さを求められるのだろうか。

治癒、という言葉がある。癒されるってなんだろうか、と考えてたどり着いたのは、「愛されているって十分、思わせてもらうってこと」。

ALSに苦しみ、ALSを乗り越えようとしている方々は、何よりも治療法の研究・発見を切望され、社会からの理解や支援を望まれているだろう。そしてたぶん、愛され、必要とされることを求めてもいるはずだと思う。


そして今、私がすべきこと。
「君たちを愛してる、君たちは愛されてるよ」という思い、悲しみや暗さや弱さは強さや笑い以上に大切にされるものだということ、「今ここに居ることそのものが価値」だという思いを、俳句という言葉の力の根として、世の中に届けていくこと。
他者の痛みに向き合い、心の深くを分かち合おうとするもう一つの世界、そんな韻文の世界からの温かな声を届ける力を少しづつでも磨いていこう。

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