2014年4月14日月曜日

言葉の振り逃げ

by 西村遼


高橋秀実『「弱くても勝てます」 開成高校野球部のセオリー』(新潮社)を読んだ。この著者にしては珍しく高校野球というメジャーな素材を扱っており、もうドラマ化もしているらしい。確かに「学業成績優秀だが弱小の野球部が発想の転換で強豪に打ち勝とうとする」なんて言うといかにも向上心のありそうな話に聞こえる。しかし、何か役に立つ教訓を求めてこの作品を読もうとすると、著者の混ぜっ返すような筆に困惑してしまうかも知れない。事実として開成高校野球部は進学校としては異例の好成績を挙げているからこういう本も出るのだけれど、著者の関心はそこではなく生真面目で正直な部員たちの語る言葉にある。

この本の中の開成高校野球部員たちは、とにかく言葉でよく考え、自分自身の行動を論理づけ、分析し、説明する。それがもしイチローのような天才野球選手が自らの技を語る言葉であれば、私たちはたとえ野球をあまり知らなくてもありがたがって聴いてしまうだろう。しかし、彼らは決してイチローではなく、一般的な野球部員としても単純な運動神経という点では見劣りする生徒がほとんどである。そのため、彼らの言葉は主に自分たちの下手さを分析し論理的に説明する言葉になる。その言葉がとても豊かなのだ。
「野球は言葉のスポーツ」という故パンチョ伊藤氏の言葉があるが、例えばこの本の中の、
「球は前から来るものだから打撃は難しい」
とか、
「野球しようとするな!」
などの言葉は言葉そのもののおもしろさとして見事なクリーンヒットである。言葉の世界においては、プロも高校生も素人も、野球のうまい下手も関係ない。真剣に考えて、思い切ってバットを振れば、誰にでも出会い頭の一発はあり得る。あるいは空振りでも、アウトになるまで何が起こるか分からない。振り逃げでも暴投でも、言葉はボールのように転々と転がって何かを起こす。


そしてそういう言葉を引き出そうとバッティングピッチャーのようにゆるくて絶妙な球を投げているのが著者の高橋氏である。インタヴュアーとして、氏は部員たちに常に基本的なことを問いかけ続け、その認識を揺らし続ける。その揺らぎに生真面目な少年たちはいちいち素直に反応してしまい、結果的にそれぞれの個性がとても良く感じ取れる。へなへなの空振りをしたバッターがなぜか可愛く見えるのと一緒だ。

高橋氏の作品はいつも、問いが問いを生むような魅力的な文体で、身近な題材の自明性を揺り動かしてきた。「ノンフィクションは事実をそのまま書くもので、何らかの教訓や着地点があるもの」という一般認識をもまた。そこにはただ、私たちが真剣に考えた時にのみ生じるおかしさがある。

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