2016年2月16日火曜日

ゴーシュの効き方

by 井上雪子


先週、久しぶりにジャズピアニストの友達のライブに行ってきた。夜のライブハウス、浦島太郎気分でぼんやりしていたが、乾いたドラムス、気持ちよく通り抜けていくギター、よく響くベース。筋肉が共振するかのように胸骨とか肩甲骨周りが痛くなる。聴くというより効く、眠くないのに眼を閉じる。『セロ弾きのゴーシュ』(宮沢賢治)の野ねずみの仔みたいだ。

私は元来(かつ未だ)ジャズは苦手なのだが、何故かすんなりと聴くことができるこの友人のピアノは、無心にけれど聴く人に向けて弾かれている、何だかそんな気がして、安心する。

会うのは7年ぶり、「変わらないね~」と言い合いながらも、「ピアノを弾く、ライブをする、そのために仕事してるみたいなもんだよ」という言葉に、私は「俳句のために仕事してるんだよ」って言い切れるのか、しみじみひそかに自問してしまう。

『セロ弾きのゴーシュ』は、悲しさが可笑しみに救われていく。やけっぱちな意地の悪さが粉々になるまで何度も躓くが、その努力はちいさな動物たちの無邪気さに磨いてもらいながら、無心の音に届いていく。

私は近頃、「いんどのとらがり」、練習してるだろうか。かっこうや仔狸が怖がらずに遊びに来るようなひと、私はそんなひとで在るのだろうか。雪のちらちらする如月、青い小さな栗の実を思う。

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