by 井上雪子
20年ほど前になるが、真冬のフィンランドにオーロラが観たくて行ったことがある。曇りばかりの、SUOMIというその国の冬の夜は、宇宙的なその光をやすやすとは見せてはくれなかったけれど、長く心に残るあたたかさをたくさん持たせてくれた。たとえばそのひとつが、国内線旅客機のスイングドア。
操縦席と客席の間は1メートルほどの木の板のような、簡易なスイングドアで仕切られているだけ。子どもがそこに立てば、パイロットと同じ目線で進行方向の空を眺めることができる。マレーシアとケニアしか行ったことがなかった私とて、これにはちょっと驚く。性善説そのもの、あまりの無防備さ。しかし、子どももお年寄りも、本当に大切にされているのが、小さな事柄から見て取れた。
海外旅行がどこであれ、心配を伴うことになってしまった今、フィンランド国内線のあのスイングドアが妙になつかしく、あれはあのままでも大丈夫な世界であってほしいと思う。これが先進国だと思わされたヘルシンキの洗練された文化の根、民族的には黒髪の、アジアに親しい血族。北極圏のその町で乗せてもらったカローラ、俳句を知っていたタウン誌の編集者のおじさんは今も元気だろうか。そしてサンタクロースは、今年も
赤いお鼻のルドルフを呼びながら旅の仕度を始めただろうか。
2015年12月7日月曜日
2015年12月1日火曜日
バトンタッチ
by 梅津志保
「平和な時にしか妖怪は語られない。」水木しげるさんが語った言葉として、NHKのニュースで紹介されていた。
また、先日、ETV特集 戦後70年企画「ドナルド・キーンの日本 前編 日本文学を世界へ」を見た。ドナルド・キーン氏は、余情という日本人独特の価値観について考え続けたという。
身近に戦争がある状況では、妖怪も余情も存在しない。戦争をくぐり抜けて生きて来た二人の言葉は重い。
俳句を作り、読み、語る。文学が近くにあることを当たり前と思うことなかれ。戦争を知らない私が、戦争について考えるのはこんなアプローチからかもしれない。
小さな詩形、俳句を、そして、平和をこれからもバトンタッチできるようしっかり考えていかなければいけない。。
「平和な時にしか妖怪は語られない。」水木しげるさんが語った言葉として、NHKのニュースで紹介されていた。
また、先日、ETV特集 戦後70年企画「ドナルド・キーンの日本 前編 日本文学を世界へ」を見た。ドナルド・キーン氏は、余情という日本人独特の価値観について考え続けたという。
身近に戦争がある状況では、妖怪も余情も存在しない。戦争をくぐり抜けて生きて来た二人の言葉は重い。
俳句を作り、読み、語る。文学が近くにあることを当たり前と思うことなかれ。戦争を知らない私が、戦争について考えるのはこんなアプローチからかもしれない。
小さな詩形、俳句を、そして、平和をこれからもバトンタッチできるようしっかり考えていかなければいけない。。
2015年11月23日月曜日
子規の旗から
by 井上雪子
早くもクリスマス・イルミネーションが美しい夜が始まったが、先週から今週、群馬県立土屋文明記念文学館で「村上鬼城 生誕150年記念 『ホトトギス』と村上鬼城の世界」を、神奈川近代文学館で「柳田國男展」をみてきた。どちらも見ごたえ十分な面白い企画と資料と展示に見入ってしまい、ちょっと疲れた。
明治時代だからか、文学者あるいは研究者だからか、実に筆まめなことにいつもながら驚いてしまう。毛筆の巻紙の信書もペン書きの葉書も、さらさらと屈託のない筆の運びで連絡手段というよりも、送り先のひとへの温かさとか、何かを表現すること・伝えること自体の喜びのほうが勝っている感がある。
土屋文明記念文学館の脇には、縄文時代の大きな古墳があり、登って廻って降りるとガラス越しに石棺を眺めることができた。「柳田國男展」では、柳田家に掛けられていたという「世の中の憂きこと聞かぬ住まひかなただ山水の音ばかりして」という本居宣長の歌からぐうんと時間が広がっていき、日本・日本人以前という世界へ意識が飛んでしまった。
歴史なんか知らなくたって、日々、困ることはない。けれども、見慣れぬ土地の何か地霊的な空気が日頃の空気より濃いことを感じていると、いつの間にか、始まりのほうへと心が連れて行かれてしまう。
子規の月並み俳句論は 、今どきのアイドルが歌う「100%勇気・・・!」以上の異色の旗だったのだろうが、そのきれいな旗からの風は今も届く。そして、明日の俳句の風も、都市という野を行ったり来たりしているらしいが、私の眼もまた知らないものを見つけられないのだ。いっそ、目を閉じて冬の匂いのなかにいようか。
■「村上鬼城 生誕150年記念 『ホトトギス』と村上鬼城の世界」
早くもクリスマス・イルミネーションが美しい夜が始まったが、先週から今週、群馬県立土屋文明記念文学館で「村上鬼城 生誕150年記念 『ホトトギス』と村上鬼城の世界」を、神奈川近代文学館で「柳田國男展」をみてきた。どちらも見ごたえ十分な面白い企画と資料と展示に見入ってしまい、ちょっと疲れた。
明治時代だからか、文学者あるいは研究者だからか、実に筆まめなことにいつもながら驚いてしまう。毛筆の巻紙の信書もペン書きの葉書も、さらさらと屈託のない筆の運びで連絡手段というよりも、送り先のひとへの温かさとか、何かを表現すること・伝えること自体の喜びのほうが勝っている感がある。
土屋文明記念文学館の脇には、縄文時代の大きな古墳があり、登って廻って降りるとガラス越しに石棺を眺めることができた。「柳田國男展」では、柳田家に掛けられていたという「世の中の憂きこと聞かぬ住まひかなただ山水の音ばかりして」という本居宣長の歌からぐうんと時間が広がっていき、日本・日本人以前という世界へ意識が飛んでしまった。
歴史なんか知らなくたって、日々、困ることはない。けれども、見慣れぬ土地の何か地霊的な空気が日頃の空気より濃いことを感じていると、いつの間にか、始まりのほうへと心が連れて行かれてしまう。
子規の月並み俳句論は 、今どきのアイドルが歌う「100%勇気・・・!」以上の異色の旗だったのだろうが、そのきれいな旗からの風は今も届く。そして、明日の俳句の風も、都市という野を行ったり来たりしているらしいが、私の眼もまた知らないものを見つけられないのだ。いっそ、目を閉じて冬の匂いのなかにいようか。
■「村上鬼城 生誕150年記念 『ホトトギス』と村上鬼城の世界」
群馬県立土屋文明記念文学館
2015年10月3日(土)~12月13日(日)
■「生誕140年 柳田國男展」
神奈川近代文学館第2・3展示室
2015年10月3日(土)~11月23日(月)
神奈川近代文学館第2・3展示室
2015年10月3日(土)~11月23日(月)
2015年11月9日月曜日
上を向いて
by 梅津志保
「豆句集みつまめ」その七粒目(2015年立冬号)が完成した。
全国に飛び立っていった(郵送させていただいた)みつまめ。もう冬支度は始まっているのだろうか北海道、まだ暖かいのだろうか沖縄へ。皆さまのポストにポトリと落ちるみつまめ。同じ時間に受け取っていただいても、外気の違いはそれぞれなのだろうと想像する。
今回、夏に合宿を行った。富士山までの小さな日帰り旅行。車が山道でカーブしながら、梨木香歩さんの小説の話で盛り上がり、俳句の何を大切にしているか話し合い、この7号にたどり着いた。
たくさんの人、たくさんの俳句に支えられ、自分の作品が生まれること。
ハナミズキの赤い実に、雨粒がキラリと光る暖かい夜。傘は閉じて、上を向いて歩いた。
「豆句集みつまめ」その七粒目(2015年立冬号)が完成した。
全国に飛び立っていった(郵送させていただいた)みつまめ。もう冬支度は始まっているのだろうか北海道、まだ暖かいのだろうか沖縄へ。皆さまのポストにポトリと落ちるみつまめ。同じ時間に受け取っていただいても、外気の違いはそれぞれなのだろうと想像する。
今回、夏に合宿を行った。富士山までの小さな日帰り旅行。車が山道でカーブしながら、梨木香歩さんの小説の話で盛り上がり、俳句の何を大切にしているか話し合い、この7号にたどり着いた。
たくさんの人、たくさんの俳句に支えられ、自分の作品が生まれること。
ハナミズキの赤い実に、雨粒がキラリと光る暖かい夜。傘は閉じて、上を向いて歩いた。
2015年11月3日火曜日
JAZZの闇
by 井上雪子
横浜・関内、『馬車道まつりアートフェスタ2015』の中の一つのJAZZコンサートに行ってきました。ホールの入口で頂いたプログラムに並ぶ『YOKOHAMA Boogie』、『China Town My China Town』、『Gaslight In The Twilight』・・・、関内の予備校で過ごした遠い日々が匂いだすようなタイトル、泰地虔郎さんとYOKOHAMA Port Beatsから流れだす音たちは弾むようにキラキラし、包むように柔らかでした。
プログラムにはなかったのですが、アンコールに応えて演奏された『大地のうた』、苦しいほどの迫力に圧倒されました。 ドラムスと尺八、鈴の響きだけで深く濃い闇が呼び出されていくような、音の生命力という感じでしょうか。日本のどこか、そして私のどこかに今もこれほど深い闇が眠っている、そんなことを確かに感じる空間のなかに座っていました。
そしてまた、日本の横浜でJAZZというスタイルを選ぶことへの思いの深さ、JAZZに溶かし込まれたものを受けとめ、大切にしてきた泰地さんの時間を思いました。音階の枠を越える豊かな一音の力、いまここを生きるJAZZの魅力、ひさしぶりに大人の時間を過ごした気がしました。
(横浜・関内大ホール 2015年11月2日)
横浜・関内、『馬車道まつりアートフェスタ2015』の中の一つのJAZZコンサートに行ってきました。ホールの入口で頂いたプログラムに並ぶ『YOKOHAMA Boogie』、『China Town My China Town』、『Gaslight In The Twilight』・・・、関内の予備校で過ごした遠い日々が匂いだすようなタイトル、泰地虔郎さんとYOKOHAMA Port Beatsから流れだす音たちは弾むようにキラキラし、包むように柔らかでした。
プログラムにはなかったのですが、アンコールに応えて演奏された『大地のうた』、苦しいほどの迫力に圧倒されました。 ドラムスと尺八、鈴の響きだけで深く濃い闇が呼び出されていくような、音の生命力という感じでしょうか。日本のどこか、そして私のどこかに今もこれほど深い闇が眠っている、そんなことを確かに感じる空間のなかに座っていました。
そしてまた、日本の横浜でJAZZというスタイルを選ぶことへの思いの深さ、JAZZに溶かし込まれたものを受けとめ、大切にしてきた泰地さんの時間を思いました。音階の枠を越える豊かな一音の力、いまここを生きるJAZZの魅力、ひさしぶりに大人の時間を過ごした気がしました。
『馬車道まつりアートフェスタ2015』
泰地虔郎とYOKOHAMA Port Beats
(横浜・関内大ホール 2015年11月2日)
2015年10月23日金曜日
迷惑をかけても、かけられても
by 井上雪子
3~4日前のことすら記憶が曖昧な状況で、どちらが先だったのか定かではないのだけれど、佐野洋子さんの『100万回生きたねこ』と、『ヨーコさんの“言葉”』を続けて読みました。
意図された偶然のように、『100万回生きたねこ』は本屋さんの絵本コーナーでの立ち読み、『ヨーコさんの“言葉”』は貸してくれた方がいて。どちらも時間にしたら5分ほどで一読できてしまうけれど、何回も、何十回も、時間をかけて読み直す、そんな本。言葉がやっぱり詩、「生きる・死ぬの意味」を読み手に考えさせる力を携えている、哲学と言ってもおかしくないほどの力。
『ヨーコさんの“言葉”』の、さりげなくドキリとさせる反・道徳的な言葉。「私『正義』というものが大嫌いです。」、「私いつも、『ハハハ、勝手じゃん』」と言いたいのです。」ママ友や、職場や、学校で、それはとても難しいことになっているけれど。そして、『泣き泣き人の迷惑をひきうけ、泣き泣き人に迷惑をかける・・・』、そのしがらみもまた、人には大切だろうと言う。その度胸の据わったスタイルが、小さな「なあなあ」的安心をひょいとひっくり返す。
そして、100万回死んでみなければ見つけられなかったもの、100万回生きたから見つけられたもの、その幸福な、とても素敵なことをこの世で楽しめばいいんだってことにジーンとする。普通の人が当たり前にできる、それでもなかなか見つからずに遠回りもするもの。いろいろあるよ、100万回の内にはね、佐野さんにそう言われていると思うと、心がちょっとふにゃっとなる。
『100万回生きたねこ』
(佐野洋子 講談社 1977年)
『ヨーコさんの“言葉”』(文:佐野洋子 絵:北村裕花 講談社 2015
年)
3~4日前のことすら記憶が曖昧な状況で、どちらが先だったのか定かではないのだけれど、佐野洋子さんの『100万回生きたねこ』と、『ヨーコさんの“言葉”』を続けて読みました。
意図された偶然のように、『100万回生きたねこ』は本屋さんの絵本コーナーでの立ち読み、『ヨーコさんの“言葉”』は貸してくれた方がいて。どちらも時間にしたら5分ほどで一読できてしまうけれど、何回も、何十回も、時間をかけて読み直す、そんな本。言葉がやっぱり詩、「生きる・死ぬの意味」を読み手に考えさせる力を携えている、哲学と言ってもおかしくないほどの力。
『ヨーコさんの“言葉”』の、さりげなくドキリとさせる反・道徳的な言葉。「私『正義』というものが大嫌いです。」、「私いつも、『ハハハ、勝手じゃん』」と言いたいのです。」ママ友や、職場や、学校で、それはとても難しいことになっているけれど。そして、『泣き泣き人の迷惑をひきうけ、泣き泣き人に迷惑をかける・・・』、そのしがらみもまた、人には大切だろうと言う。その度胸の据わったスタイルが、小さな「なあなあ」的安心をひょいとひっくり返す。
そして、100万回死んでみなければ見つけられなかったもの、100万回生きたから見つけられたもの、その幸福な、とても素敵なことをこの世で楽しめばいいんだってことにジーンとする。普通の人が当たり前にできる、それでもなかなか見つからずに遠回りもするもの。いろいろあるよ、100万回の内にはね、佐野さんにそう言われていると思うと、心がちょっとふにゃっとなる。
『100万回生きたねこ』
(佐野洋子 講談社 1977年)
『ヨーコさんの“言葉”』(文:佐野洋子 絵:北村裕花 講談社 2015
年)
2015年10月12日月曜日
蟷螂の眼
by 梅津志保
玄関のドアを閉め、出かけようとした。そのとき、視線だったのか、気配だったのか、何かに気が付いた。花壇のローズマリーの上をじっと見ると、そこには、大きな蟷螂がいた。立派な緑色の体、三角の顔、大きな鎌。夏に見たときは、指先位の大きさだったのに。「大きくなったぞ。」といわんばかりの姿だった。同じ蟷螂であるかどうかは分からないが、とにかく蟷螂が、成長した姿を見せにきたのだと思った。
なかなかこんな機会もないので、じっと正面から見ると、蟷螂の眼は緑色で、吸い込まれそうな美しさだと思った。また、自分を見透かされているような気がした。蟷螂から見ると自分はどう映るのか。
虫の眼の億とあつまり冬青空 高野ムツオ
この句を最近、読んだからかもしれない。そんなことを思った。自分からの視点だけではなく、動物から見た景色はどうなのか、植物の生え方はどうなのか、そんなふうに、対象からこちらを見てみることの大切さ、客観性。また、俳句を読んだ人が、迷わないような読後感がいい、想像がふくらむような俳句とはどういうものなのか、改めて考えてしまった。
自分よがりではいけないことを、この俳句は教えてくれる。同じ時に、蟷螂と同じ場所に立つ、自然の中にいる自分。一時間後に帰宅したとき、同じ場所に、蟷螂はいなかった。その一瞬。姿を見せてくれたあの蟷螂のために、いつか俳句を作りたい。
角川学芸出版編『今はじめる人のための俳句歳時記 新版』(角川学芸出版、2011年)
玄関のドアを閉め、出かけようとした。そのとき、視線だったのか、気配だったのか、何かに気が付いた。花壇のローズマリーの上をじっと見ると、そこには、大きな蟷螂がいた。立派な緑色の体、三角の顔、大きな鎌。夏に見たときは、指先位の大きさだったのに。「大きくなったぞ。」といわんばかりの姿だった。同じ蟷螂であるかどうかは分からないが、とにかく蟷螂が、成長した姿を見せにきたのだと思った。
なかなかこんな機会もないので、じっと正面から見ると、蟷螂の眼は緑色で、吸い込まれそうな美しさだと思った。また、自分を見透かされているような気がした。蟷螂から見ると自分はどう映るのか。
虫の眼の億とあつまり冬青空 高野ムツオ
この句を最近、読んだからかもしれない。そんなことを思った。自分からの視点だけではなく、動物から見た景色はどうなのか、植物の生え方はどうなのか、そんなふうに、対象からこちらを見てみることの大切さ、客観性。また、俳句を読んだ人が、迷わないような読後感がいい、想像がふくらむような俳句とはどういうものなのか、改めて考えてしまった。
自分よがりではいけないことを、この俳句は教えてくれる。同じ時に、蟷螂と同じ場所に立つ、自然の中にいる自分。一時間後に帰宅したとき、同じ場所に、蟷螂はいなかった。その一瞬。姿を見せてくれたあの蟷螂のために、いつか俳句を作りたい。
角川学芸出版編『今はじめる人のための俳句歳時記 新版』(角川学芸出版、2011年)
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